TARO賞展2020 寄せられた感想など①

 会期が終わり、いよいよ撤収という時、私の展示に関する手紙をまとめて美術館から受け取りました。多くは知り合い、教え子、その保護者や家族からのメッセージでしたが、中には初めて私の作品を観た人からの感想もありました。それぞれのaddress欄にメールやHPの連絡先が書いてあっても、私には「猫に小判」なので、ここでいくつか紹介し、簡単にコメントさせてもらおうと思います。

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「布のもつ質感と、人間の重さの質感がぴったりで圧倒された!偶然ですが、来て良かったー」

 何の予備知識も期待もなく、偶々来館された人から、こうして良かったと言ってもらえるのは嬉しいですね。確かに人間はブロンズや石ほど重々しくないですし、木や布くらいがちょうどいいと常々私も思いながら、肖像彫刻をつくっています。

「とてもコワかったです。現実にそっくりでいて、はっきりと現実とは違う店内にいると、日本語は通じてもその意味が全く違って、意思疎通ができないという意味で、日本語の通じない(不思議な国のアリスの原作のような)感じで、ここから出られなくなりそうで、あわてて逃げました。すさまじいインパクトで、今もまだ何だか落ち着きません。今夜の悪夢に出てきそうで、まちがいなくインパクトNo.1でした。」

 インパクトNo.1は良いのですが、悪夢に出てきそうな怖さには参りました。確かに娘が小さい頃、うちに遊びに来る幼稚園の友達の中には、泣きながら親にしがみつく子もいましたけど。

 そうかと思うと逆の感想もありました。

「日常にあるあたたかさを感じました。特別なものではなく、私たちのまわりに普通にあり、でも切り取ってみると特別に感じられるようなすばらしい日常をお持ちなのだと思いました。」

 私のことを知っている人からは、概ねポジティブに評価されていた様です。ただ、感じたのが怖さだったか、温かさだったかの違いはあれど、あの5m四方の空間が実は私の頭蓋骨の内側だったということには、観た人のほとんどに気づいてもらえたと思います。私が世の中や現実をああいう風に捉えていることに関して、作品を並べてしまえば、もう否定はできません。もちろん、あのブースだけが私の総てという訳じゃないですけど。

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 敢えて今回の展示に足りなかったものを挙げるとすれば、モノをつくる人間のカオスの部分でしょうか。私がいる所には、常につくりかけの作品が溢れています。整理はしていますが、道具や材料も沢山あるので、かなりごちゃごちゃしています。いつも何かしら未完成であることが私の常態であり、一番落ち着くシチュエーションなのです。

 TARO賞展の自分のブースにいて、私が段々苦しくなってくるのは、まさに展覧会というものの完結性ゆえだと思います。変な話ですが、出来上がった自分の作品ばかりの空間に、もはや私の居場所はないのです。だから、本当に私の世界を忠実に表現しようと思ったら、制作途中の、それこそ人に見せられない様な、ガラクタまでそこに加える必要があるのでしょう。でも、それでは展示にならないので、仕方ありません。