由比ヶ浜

2024年 25cm×32cm 紙、鉛筆、水彩

 午後の由比ヶ浜は穏やかで、人影もまぱらでした。所々に小さな子連れの若い母親やカップルがいましたが、夏のこの浜辺を考えると嘘のように静まり返って、波の音ばかりが響いていました。

 鎌倉は市の中心部が海に面しているというのが、奈良、京都との大きな違いです。そう言えば、平清盛が一時遷都した福原(神戸市)も、豊臣秀吉の大阪も、徳川家康の江戸も港町だったところを見ると、武家の都づくりの特徴と言えるかもしれません。交易や防衛に有利な近代都市の原型が、源頼朝によって、ここ鎌倉に齎されました。

 明応4年(1495年)の大地震では、津波がここ由比ヶ浜から段葛まで押し寄せたという記録が残っています。長谷の大仏殿もその時流されたと言われています。私もそう信じ込んでいました。でも、どうもそれが事実ではなかったことを最近知りました。当時かなり寂れていた高徳院の大仏殿は、地震よりだいぶ前に老朽化し、解体された様です。津波が到達したかどうかはわかりませんが、その時既に大仏は野晒しだったので、せいぜい海水を浴びた程度だったのでしょう。冷静に考えてみれば、津波で倒壊したとすると、大仏は重い梁や柱によって相当なダメージを受けていたはずですから、辻褄が合いません。大きな損傷がないということは、やはり人の手で周囲の建屋を取り除いたと見るのが妥当です。

 人の少ない由比ヶ浜は長閑で、気持ち良くスケッチできました。のんびり(と言っても、画面を真ん中で塗り分けただけなので、あっという間でしたが)描いてから、ぶらぶら鎌倉駅まで歩き、また電車に揺られて東京に帰りました。なかなか充実した日帰り一人旅でした。