寿福寺

2024年 32cm×25cm 紙、鉛筆、水彩

 春の鎌倉に行ってきました。特に目的もなく、小町通りから踏切を渡り、北鎌倉の方に歩いていると寿福寺が見えました。境内に入ると、平日で人も少なく、鳥の声が近く聞こえます。時々立派なカメラを下げた年配のグループとすれ違いますが、老人たち(もちろん私も含まれます)に対しては警戒心もないらしく、囀りは止みません。

 寿福寺は前にも来たことがあると思うのですが、よく覚えていません。小ぶりの山門が青空に映えて綺麗だったので、正面の大きな石に腰掛けてスケッチしました。この後の予定もなかったので、のんびり描いたら、ちょっと間の抜けた寝起きの顔みたいな絵になりました。

 裏山に広がる墓地の奥には鎌倉独特のやぐらがたくさんあり、その内の二つが北条政子と源実朝の墓でした。歴史上の人物が名もない普通の人たちと並んで葬られているのは、ちょっと不思議な感じです。そして、政子にとっては、頼朝でも頼家でもなく、やはり実朝だったことに感興をそそられました。

 久しぶりの電車一人旅は、時代も往還して遊び、なかなか贅沢でした。寿福寺の後、隣の英勝寺を訪ね、昼は段葛こ寿々で蕎麦を食べてから、由比ヶ浜まで足を伸ばしました。その時の絵はまた次回。

花曇り

2024年 32cm×25cm 紙、鉛筆、水彩

 ようやく東京の桜が満開日を迎えたのは4月4日でした。ただ場所によって時間差があり、その日になって未だ五分咲きというところもありました。TARO美術館と同じ生田緑地内にある枡形山広場も、少し標高があるせいか、やや遅れていました。美術館の来館者が少ない午前中、散歩がてらスケッチしに行ってみましたが、満開まではもう少しかかりそうでした。でも、翌日から天気は下り坂とのことで、今年の桜のラストチャンスになりそうだったので、描いておくことにしました。

 ここ枡形山は昔から要衝の地で、城址にある展望台に登ってみると、東はスカイツリーや都心の高層ビル群から筑波山、北は日光、西は丹沢、高尾山から富士山まで一望できます。自然の地形を活かした山城の跡地は桜が沢山植えられた広場になっていて、地元の人たちの格好の花見場所です。この日は平日だったので、空いていましたが、近くの大学生のグループらしき2組が、大人しく(酒盛りでもなく)シートを敷いて集っていました。

 さて、2ヶ月間続いたTARO賞展もいよいよ明日で終わります。今回の馬鹿デカい展示物を撤収するのが、また一苦労です。でも設営と比べれば、そんなに時間はかかりません。桜と同じで、咲くまでは大騒ぎですが、散り始めたらあっという間に跡形もなくなってしまいます。今回は期せずして、花と共に終わるTARO賞展となりました。それもまた良しです。

本門寺五重塔

2024年 32cm×25cm 紙、鉛筆、水彩

 本阿弥光悦揮毫の扁額(レプリカですが)を観に、三十何年かぶりに池上本門寺に行ってきました。私が最初に勤めた学校は、同じ大田区内にあり、毎年10月には御会式(おえしき)パトロールというのをやっていました。御会式はここ池上の地で亡くなった日蓮の命日を追悼する祭りです。毎年数十万人が押し寄せる盛大な祭礼で、地域の中学生同士の小競り合い等も度々あったので、夜にはそれぞれの学校の教員がチームを組んで見回るのが恒例でした。それ以来の、そして昼間の本門寺はだいぶ印象が違いました。

 広々とした境内は明るく、まるで近所の年配の人たちが集う健全な公園です。私の記憶違いかもしれませんが、昔は五重塔ももっと暗い色だった様な…。それもそのはず、御会式パトロール当時の私は、夜の本門寺しか知りませんでした。人混みで溢れた境内には裸電球の屋台が立ち並び、テントの居酒屋みたいな一角を本部にして、先輩教員たちとガブガブ飲みながら、有事に備えたものでした。もちろん勤務時間じゃありませんから、どうこう言われる筋合いはありませんが、でもやはり令和の今では考えられない、懐かしの不適切時代の思い出です。祭のクライマックス、何人か生徒たちも参加していた「万灯練り行列」は迫力満点でした。私にとって本門寺と言えば夜のイメージになってしまう訳です。

 さて、こんな青空の下、本門寺に来てみると、周囲が皆 健康的過ぎて場違いな気がします。初老のグループが派手なトレーニングウェアでウォーキングしていますし、近くの幼稚園か保育園の子供たちは先生に連れられて大騒ぎの散歩中でした。私もぶらぶらしながら描く場所を探しましたが、やはり五重塔が一番絵になりそうです。明るい墓地の中に、静かで、塔を見上げるのにちょうど良い石段があったので、そこに陣取ることにしました。暦の上ではまだ冬のはずなのに、外のスケッチが全然苦にならない長閑な午後でした。

 それにしても、この絵を描いた節分前は温かい日が多く、まさか桜の開花がここまで遅れるとは思いませんでした。最近のパターンでは卒業式に花盛り、入学式は葉桜が定番でしたが、今年は久しぶりに桜の下で新入生の記念撮影という光景が見られそうです。

學校 ④

 今回の「學校」は方位も考えて展示しました。原爆ドーム実物の正面は元安川に面して西向き(ちょっと暗示的ですね)なので、この作品でもそうしました。↑は東面、↓が西面です。四方に構造材を兼ねた本棚を設置する必要があったので、どうせなら四神相応を意識して東西南北に合わせてみました。東は青い本棚と友人の青いシャツの背中、岡本太郎像の肩に乗った青龍で表しています。

 西は白の本棚です。日本の公立学校の教室では、机が必ず西向きに置かれています。日の差し込む南を左側にすることで、右利きの手の影が書く文字にかからない様に(つまり少数の左利きの生徒は無視されている訳ですが)配慮されています。なので、「學校」の西側に生徒机はなく、全て東半分にこちらを向いて並んでいます。

 南は朱雀です。女性像の少し上に赤い鳥の透かし彫りが飾ってあるのがわかるでしょうか。正倉院に遺された光明皇后の冠の残欠を朱漆と金箔で象ってみました。今回、会期中に桃の節句があったので、雛飾りの緋毛氈に見える様、南の本棚には赤い背表紙の本ばかり集めました。前に立っている二人が、ちょうどタイミング良く3/23に結婚披露宴をやったところなので、モデルになってもらい、内裏雛にしてみました。二人の後ろには左近の桜、右近の橘も隠れています。

 北は黒の本棚です。隣に黒いタートルネックの男がいるのは、玄武のシャレです。言われなきゃ誰も気づかないでしょうけど。

世界連邦ポスターのための参考作品

2023年 38cm×54cm 紙、ポスターカラー

 中学2年生の最初の課題はポスター制作です。学校には様々な役所や団体からポスターの募集が来ますが、あまり政治的、商業的なものはNGです。その点、世界連邦運動はアインシュタインやバートランド・ラッセル等、設立メンバーがバラエティーに富んでいて豪華ですし、宗教、政治など特定のサイドに偏ってもいないので、学校で取り組むには良いかなと私は思っています。

 毎年、生徒と一緒に私も参考作品を描く様にしています。あまり具体的な例を見せて生徒のイメージを縛りたくはないのですが、同じ用具や紙を試すことで、生徒たちの表現上の苦労や時間配分を共有できますし、お互いの刺激にもなります。今年度はちょうど「學校」をつくっていた時期と重なっていたので、そのままモチーフにしてみました。但しメッセージとしては、これからの世界の悲観的な可能性の方を暗示しています。「學校」や教育が機能不全になって歴史が逆回転したら、再び破滅の可能性を孕んでいることを原爆ドームで表しています。原作の「バベルの塔」で画面左下に描かれているニムロデ王の御一行は、取り敢えず各国首脳に替えておきました。私自身は別に終末論者ではありませんし、ネガティブな表現を好みませんが、こういう平和や環境保護喚起のアイデアとなると、なぜか「皮肉な視点からの警告」的な方向に偏りがちです。教員が描いたところで(どこにも応募できないし)、どうせ無駄という諦念のせいでしょうか。暗い内容のポスターの参考作品ばかり、気がつくと十数枚溜まってしまいました。