空間と作品 ②

 凡そ住宅に具象彫刻ほど無用のものはない気がします。同じ美術品でも、名作家具やイサム・ノグチの「あかり」のような、使える作品ならともかく、彫像など役立たずで場所ふさぎなだけです。私の作品も生活空間に置かれることはあまり想定していませんでした。美術館やギャラリーで、時々いくつかまとめて、展示してもらえればいいと思って造っていました。仕方なく今はこうして同居していますが、私自身は家に人形や模型を飾る趣味もありません。

 では、私と家族が肩身の狭い思いで暮らしているかと言うと、実はそうでもないのです。この大テーブルで卓球する訳でもなし、普段は娘がピアノを弾いたり、私が読書やPCに使うくらいですから、部屋の隅の像達は邪魔でしようがないということもありません。皆、不思議に周囲と調和しながら、すました顔で居座っています。むしろ美術館の何もない空間に置かれるより、彼らにとってはここの方が居心地良さそうにも見えます。
 作品の展示場所として、本当に美術館やギャラリーが相応しいか、というのはなかなか難しい問題です。美術品の中には、手で触れたり使ってみなければ真価を発揮しないものがあります。例えば、茶碗をガラスケースの中に陳列したとしても、本当の価値は伝わりません。仏像なども本来の居場所を離れて、管理された空間に並べられると、オーラや説得力を失くしてしまうことがあります。何かしら目的を持って生まれてきたものが、見世物にされて喜ぶとは限りません。
 よくよく考えてみると、私自身は、美術館の展示空間にあまり馴染めず、何となく苦手意識を持っているのかもしれません。目当ての作品があれば(仕方なく)行きますが、まず長居することはありません。「美術館巡りが趣味で、そういう場所にいるとホッとする。」なんて言う人の気が知れません。美術館や博物館には、どうしても西洋的な略奪の歴史や遺体安置所という雰囲気がついてまわるように思うのです。

 何も私は、美術館よりこの部屋の方が作品展示に適している、と主張するつもりはありません。新作毎に自分のプライベート・スペースを開放するなんて真っ平です。ここはあくまで生活空間であって、見世物小屋ではありません。作品には、できれば留まらず、旅立ってほしいと真剣に思っています。居心地が良いからと、いい年をした子供達にずうっと居座っていられては家が没落してしまいます。現状では、やはり美術館に買い上げてもらい、常設とは言わないまでも、定期的に展示されることが、作品にとっても、私にとっても幸せだと思います。
 但し、それもなかなか叶わないとなれば、この部屋での彫像との共存は、これからのひとつの提案になるかもしれません。放っておくと物が溢れて日常に埋没してしまいそうな空間を、繋ぎ留め、最低限の緊張感を保つ効果が美術作品にはあります。昔の日本人が、家の中の最も大切な場所に床の間を作り、季節や気分に応じて好きな軸やモノを飾ったように、一つでいいから生活空間のどこかにアートを取り入れることが、心休まる住居には大切です。そうでもしないと、どんなおしゃれな和モダン住宅も、単なる棲家に堕してしまうこと請け合いです。別に床柱や地板がなくても構いません。ただ、住人の心持を表現する窓として、「床の間」的スペースをつくる意義は大きいと思います。どうでしょう?住まいの空気清浄のため備長炭を置くように、或いは床の間の中で生活しているに等しい村上家の窮状を見るに見かねてでもいいので、作品を引き取ろうという奇特な人はいませんかねえ?