生活指導 ②

   −承前−
 鬼平という人物中に、指導者の条件としてまず挙げられるのはそのビジョンの確かさである。事件をどう捉え、どう解決していくのか。そのためのはっきりした方向性を示せなくては部下も動けない。小説中に、しばしば「勘ばたらき」という言葉で表される、平蔵の直感や洞察はまるで超能力のようであったという。経験や情報に裏打ちされた慧眼によって物事の本質を見極め、落着に向けてまさに筋書通りに運んでいく、この見通しの力なくしてリーダーは務まらない。
 しかし立派なビジョンだけあっても、それを遂行していくリーダーシップを伴わなければ机上の空論に終わってしまう。江戸時代であれ、現代であれ、現場で一番大切なのは組織や集団を目的に向けて推し進めていくことである。関わる人が多いほど、その場ではっきり的確な指示をしていく必要がある。場合によっては針路変更も恐れず、臨機応変に手綱を捌いていくリーダーシップが指導者には求められるのである。火盗改の活躍が、長官・長谷川平蔵の強い指導力の結果であったことは言うまでもない。
 さて、鬼平が明確なビジョンと強いリーダーシップを兼ね備えた人物であったことを述べてきたが、もうひとつ、この小説の一番大切な要素を忘れるわけにはいかない。それは鬼平の持つカリスマ性である。誰に対しても分け隔て無く、率直で人情深く、正義感は強いが決して堅物ではない。酒と美食を好み、若い頃は相当なやんちゃ坊主であった。「清濁併せ呑む」を地でいく、そんな平蔵の人柄は周囲の人々を惹きつけずにはおかない。と同時に、「この男を裏切ることは恐ろしい」と皆に思わせるオーラにもなっていたのである。
 昔も今も、理想の指導者たることは難しい。「バカみたい」と思われても、生活指導をしていていつも意識するのは鬼平のことである。平蔵が着流し姿で颯爽と市中見回りをしていたのに比べれば、現代の校外パトロールはかなり格好悪い。地域に「ご迷惑おかけしています。」と頭を下げて回ったり、お祭りの雰囲気を壊しながら人混みの中に突っ立っていたり…。正直、気が進まないことも多いが、学校が学校として立ち行くために誰かがやらねばならないのである。
 誤解を恐れずに言えば、『鬼平犯科帳』は男の世界である。たかが時代劇と言う無かれ。とっくに死語かもしれないが、「男のロマン」なのである。そして、PTAのお母さん達には理解して貰えないと思うけれど、中学校の生活指導もやはり男のロマンなのである。 −「生活指導と男のロマン」おわり−

 先日、久しぶりにテレビで新作の『鬼平犯科帳スペシャル〜盗賊婚礼』というのが放映されました。オリジナル・キャストで亡くなられた俳優さんも多く、出演者も皆さん歳をとりましたが、やはり見応えのあるいい作品に仕上がっていました。さて、人のことは言えません。私も既に長谷川平蔵が没した年齢になり、時間の限りも見えてきました。本当はもう少しペースを上げて作品をつくらなくてはいけないのですが、秋の夜長、生活指導を終えて帰って来ると、また、つい『鬼平』に手が伸びてしまいます。