學校 ①

2024年 430cm×450cm×450cm 麻布、樹脂、漆、木、鉄、発泡スチロール、本、机、椅子、他

 3月に入りました。そろそろ写真を出しましょう。現在TARO美術館で展示中のこの作品「學校」について、パンフレットに載せた私のキャプションは以下の通りです。

 1968年の夏、小学一年生の私は東京から広島に転校した。初めて見る原爆ドームはとても渋くてカッコよかった。幼い私の中に歴史的なモノが意識された 最初の経験だった。

 さて、これは建築途中のバベルの塔ではない。完成されぬまま放棄された廃墟である。歴史はこんな風に、時計回りに螺旋階段を下ってきて、現在と繋がっている。そう。確かに歴史は生きている。但し現在と接する、まさにその境界でのみ生きられるに過ぎない。貝殻を後に残しながら、入口だけ粘膜に覆われて成長し続ける巻貝の様に。その最前線はぐにゃぐにゃしていて心許ないが、唯一生命の宿る場所であることは間違いない。そして、私はそこを「學校」と呼ぶのである。

 こんな書き方をすると、かなり理屈っぽく聞こえるかもしれませんが、別にコンセプチュアルアートにするつもりはありません。自分の手は汚さず、既成のものを意味あり気に展示してみせるというのは、私の最も苦手とするところです。造形作品はあくまでも観る(見せる)ものであって、読む(語る)ものになってはいけません。ただ今回は色々な思い入れがごった煮状態に積み上がってしまったので、プロットを少し整理しておく必要がありました。専任教員として勤めながらつくった最後の作品ということも関係あるかもしれません。簡単な説明がないとガラクタの山になりそうでした。パッと観てわかりにくい作品にするのは不本意ですが、それ以上に、ここら辺で一つ自分の中の区切りをつけておかなくては、という気持ちが強かったということです。多少ごちゃごちゃしても、喉の奥に詰まっていた塊を吐き出すことを優先しました。

 2年前、巨大なピカソの顔をTARO美術館に展示していた頃でしたが、家の自分の部屋でふと考えました。「周り中、大量の本と自作の彫刻で溢れたこの濃密な空間で、どうして私は寛いでいられるのだろう?」そこで気がつきました。「そうか。ここは私の脳の中なんだ!」そう言えば、環境を自分の脳化していくのが人間の特徴であると「唯脳論」にも書いてありました。

 では、この自分の脳内を人に観てもらうためにはどうすれば良いか?自分がその中にいる部屋を、Tシャツを脱ぐみたいに、裏表ひっくり返して立ててしまえば、自分の脳の彫刻ができるんじゃないか?これが制作のスタートでした。観る人にどう思われるかはわかりません(これまでのところ余り芳しい反応もありません)が、私自身は2年掛の作品を発表できて満足しています。壮大な悪魔祓いがやっと終わった様な清々しい気持ちです。