反・彫刻③

 先日、東博で「空也上人と六波羅蜜寺」展を観てきました。ほとんどの像は以前にもどこかでお目にかかったものばかりでしたが、こうして一堂に会すると、それはそれで壮観でした。今回の目玉は運慶の四男 康勝の造った「空也上人像」です。久しぶりに対面して「あれ?こんなに小さかったかな?」と思いましたが、360度ぐるりと回って観ると、やはり良い仏像でした。空也上人の口から出ている、針金でつながった南無阿弥陀仏の称名ばかりがクローズアップされますが、それにも増して全身(特に後姿)の造形が秀逸だと感じました。

 運慶の地蔵菩薩坐像も素晴らしくリアルで驚きました。空也上人像だけはガラスケースの中でしたが、他は全部そのままバリアなく展示されていました。この運慶作の像も横まで回り込んで、至近距離から観ることができました。胡座の腰から下の動勢が明らかに他の像とは異なっています。運慶は日本の彫刻史の代表の様に言われていますが、改めて作品を前にすると、最も日本人離れした、つまり西洋的空間感を持った仏師だったことがわかります。

 写真で東大寺南大門の金剛力士像を観ると、頭でっかちで不恰好ですが、現地で下から見上げた時のプロポーションは完璧です。本物には、写真や3Dプリンターでは決して再現できない、リアリズムがあるのです。今回の地蔵菩薩坐像の様な、等身かそれ以下の仏像のリアリティを見る限り、運慶が敢えて巨像の頭を大きく造っていたことは間違いありません。空間的デッサン力を備えていたばかりでなく、逆遠近法とでも言うべき、当意即妙の補正能力まで駆使していたことがわかります。

 ミケランジェロのダビデ像と金剛力士像を比較して運慶の先進性を云々する番組や特集記事が時々ありますが、あれじゃ運慶はちょっと可哀想です。4mの像と8mを超える像を正面からの画像で比べてはいけません。ダビデ像はもちろん立派ですし、ミケランジェロもやや頭部を大きく造っていますが、その倍の高さの金剛力士像では5〜6頭身にしなくては、下からバランス良く見えません。今回のTARO賞展で、私は興福寺(旧山田寺)の仏頭をほぼ原寸で再現して、丈六仏の顔の位置に展示してみましたが、高さ4mを超えると、大きかったはずの顔が思いの外小さく見えることに驚きました。カメラのなかった時代と現代では、リアリズムも違って当然です。

 運慶が世界の彫刻史でも重要な存在であることに異論はありません。そして同時に、所謂西洋の「彫刻」という概念からは、かけ離れた制作スタイルや方法論を持っていたことも確かです。大理石やブロンズで造られた彫刻と比べると、運慶の造仏はかなり即興的に進められています。金剛力士像にも、制作中に胸や臍、瞳の位置を変えた跡が残っています。像の傾きや腕の捻りといった根幹に関わる部分にも途中で大胆な変更が加えられたことがわかっています。行き当たりばったりは言い過ぎにしても、柔軟な頭で臨機応変に、スピード感を持って造られたことで、運慶作品には独特のリアリティや臨場感が生まれたのだと思います。

 これらは運慶工房の仏像が主に寄せ木で造られていた※こととも大いに関連があるでしょう。当時の日本で最も自由度の高かった最新の造仏技法が寄木造でした。一木や石を材に使う彫刻では、一度削ってしまった部分を再生することができないので、事前の図面に従って、計画的に彫り進めていく必要があります。その方法では大きな像を造りながら、即興的に動きを加えていくことは難しかったでしょう。一方粘土で造る塑像は足し引き自在で、一見自由に感じられます。確かに顔などの部分の成形には適しているのですが、実は素材自体が重いので、腕や脚が胴体から離れた、動きのある形態表現にはあまり向きません。鋳造も簡単ではありませんでした。そこで、これらの技法の欠点を補う様に発展したのが寄せ木による造像だったのです。これなら材木のコストも抑えられますし、何と言っても、棟梁がマケットを造って、それを分解した部材を示しさえすれば、工房の人数をかけて同時に作業を進めていくことが可能になります。東大寺南大門の金剛力士像二体を69日間という恐るべき短期間で造り上げることができたのは、まさにこの技法と運慶工房のチーム力の賜物でした。(※ただし、今回出展されていた運慶の地蔵菩薩坐像は一木造りでした。)

 鎌倉時代にはもちろん「彫刻」なんて概念はありません。一人の彫刻家が粗彫りから仕上げまで、自分のオリジナルにこだわって造ることもなければ、第一「表現」という言葉すらありません。そして、立体造形にも彩色を施すことが当たり前でした。今はほとんど剥落してしまってわかりませんが、運慶や快慶の仏像も元々はカラフルに塗られていたはずです。純文学という言い方がある様に、もし純彫刻なんて下らない考え方があるとすれば、チームで造る作品、ましてや色を塗った彫刻など邪道と言われてしまうことでしょう。

 石や煉瓦を積み上げて、上へ上へとゴシックのカテドラルを造り上げていくのが西洋の方法論だとすれば、運慶等のやり方は土地の起伏に合わせて建て増していく桂離宮スタイルかもしれません。ただ、その土地にあった材を活かして造形していくという点においては、洋の東西を問わず、同じ精神の活動に思えます。戦略的にはどちらも三次元囲碁であり、周りにある物で空間内に変拍子を生じさせることを目論むという点も共通しています。結局の所、先日来話題にしている狭義の「彫刻」へのこだわりなんて、属国根性(ヨーロッパへの阿諛追従)以外の何ものでもないのでしょう。つまらない行列にでも並びたい奴は並べば良い、ただそれだけの話です。私は真っ平ゴメンです。

 さて、今回の「空也〜」展には長男の湛慶作と伝えられる運慶の肖像も出展されていました。意外に小さな像でしたが、がっしりした体躯と大きな手、意志の強そうな面構えがこちらに迫ってきます。黒光りした木像に対峙しながら、とにかく私は、彫刻であろうとなかろうと構わないから、運慶の道を行きたいと思いました。