龍燈鬼・天燈鬼

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2021年 龍燈鬼・高141cm、天燈鬼・高112cm 麻布、樹脂、漆、木、紙、電球、電線、他

 今、開催中のTARO賞展で、私のブースに結界を張って踏ん張っているのがこの二像です。言わずと知れた、興福寺国宝館の天燈鬼(右)・龍燈鬼(左)像です。実際に照明器具(すごく明るい必要はありませんが)として使えるものが欲しくなって、つい、つくってしまいました。灯籠にはそれぞれ4WのLED電球が入っています。スイッチを切るとこんな具合です。

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 実物の龍燈鬼像内には運慶の三男・康弁の墨書銘があり、今は両像とも同じ仏師の作ということになっています。しかし、同寸で再現してみると、この二つが同一人物のつくった彫刻とはとても思えません。一人の作者であれば灯籠の大きさを揃えるでしょうし、第一、顔の造形が全く違います。龍燈鬼の方はゲジゲジ眉を表すのに、銅板を切って釘で固定していますが、天燈鬼の方はそのまま木から彫り出しています。彫刻としての動勢も表情も明らかに天燈鬼が優っています。恐らくは、とても腕の立つ仏師が先に天燈鬼を彫り、それに合わせて康弁が龍燈鬼をつくったということではないでしょうか。

 康弁その人もかなりの実力者だったことは間違いありません。二つの像の存在感を合わせるために、敢えて高さを変え、表情を誇張し、龍の尻尾を掴む鬼の手などに技巧の限りを尽くしています。しかし、龍燈鬼像制作は、そもそも天燈鬼像作者へのリスペクトからスタートしている様に見えるのです。では、自らも慶派で法橋(ほっきょう)の地位にあった康弁さえも畏敬の念を懐いた、天燈鬼像の作者とは一体誰だったのでしょうか?考えられるのは、父であり、一門の棟梁だった運慶か、或いはそれに近い人物しかいません。私は寄せ木の方法や動勢表現から、興福寺国宝館にある金剛力士像と同じ作者だと睨んでいます。一応、仏師の名は定慶とされていますが、この人についてはあまりよくわかっていません。運慶との関係(もしかしたら本人?)も不明です。とにかく、その腕前を見る限り、鎌倉時代を代表する彫刻家の一人であったことだけは確かな様です。