反・彫刻①

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 執念深い奴と思われると心外ですけど、また昔のエピソードについて書きます。別に愚痴ではありませんので悪しからず。

 もう四半世紀以上前になりますが、銀座の大きな画廊のコンペで、私の立体作品が票を集めて、大賞候補になったそうです。ところが、審査員の一人だった、ある作家の「これは彫刻じゃない。」という異議申し立てにより、入賞が却下されたことを、オープニングパーティー最中に、そこの社長から耳打ちされました。その時は、さすがに少しイラッときました。こんな感じで私の作品は、まるでコウモリみたいに、アカデミックからもアヴァンギャルドからも仲間に入れてもらえないことがよくあります。だいたい古めかしい美術教育を受けてきた、偉そうな彫刻家なんかからは認められる訳がないのです。結局、「反・彫刻、上等!」とヤサグレて、ぼっちを再認識することになりました。

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 しかし、今にしてみると、この彫刻家の言葉は、なかなか含蓄があったとも思うのです。それまで私は、人物をモチーフにした立体造形ならば、取り敢えず「彫刻」だと思い込んでいました。でも、伝統的な西洋彫刻の定義では、そうじゃなかったのです。空間全体を構造として捉えて、その中にそうっと造形物を配置することこそ本当の「彫刻」であり、となると確かに私のつくる人物像はそう呼べないかもしれません。アカデミックな世界で、彫刻とは、あくまでも大理石の塊や建築物の枠組みを座標にした空間表現なのですから。私の様に感覚的、行き当たりばったりに付け足したり、空間に割り込んだりしながら、自分のリアリティだけを追求することは、全く別のカテゴリーということになります。所謂「彫刻家」から見たら、これが「彫刻」と認められることは、不愉快極まりないのでしょう。そして、彼等はいつも私の作品を差別的に「人形」と呼びたがります。自分達「彫刻家」は周りの空間のことを考えているけど、お前には自分の作品しか見えていないという訳です。

 だったら、別に「彫刻」でなくても良いというのが私の基本的な立場です。あれ以来、造形や彫刻について、私なりに色々考えるところがありました。自分の作品のコウモリ的な立ち位置も意識しながら、最近 私の気持ちは益々「反・彫刻」に傾きつつあります。それについて、思うことをこれから何回かに分けて書いてみようと思います。