多々良木ダムとあさご芸術の森美術館

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2021年 33cmx25cm 紙、鉛筆、水彩

 一日かけて作品搬入して、そのまま蜻蛉返りも何なので、行った証という訳でもありませんが、あさご芸術の森美術館の前から、背後に聳え立つダムを描いてきました。この水力発電用のダムは味気ないコンクリート製ではなく、自然石を積み上げたロックフィルという工法で造られています。そして、元々ここにあった電力会社の建物を転用して美術館にした、と聞いた覚えがあります。手前に見えるのは、この美術館設立の元となった淀井敏夫コレクションのひとつです。因みに淀井(よどい)さんは地元朝来市出身の彫刻家です。

 それにしても、美術以外の目的でつくられた造形というのは、どうしてこうも魅力的なのでしょう。別に私は「用の美」なんてことを論うつもりはありません。ただ、自然石が幅278m.高さ64mも積み上げてあれば、美術的な意図はなくとも、無条件に美しく感じられるということです。このロックフィルダムともう一つ、朝来市内には素晴らしい石のオブジェがあります。以前も何度か紹介した竹田城跡です。建物は跡形もなく、この土地独特の黄褐色の石垣だけが山の上に残る遺構は、まさに「天空の城」のキャッチコピーにふさわしく壮観です。

 世の中に美術作品は星の数程ありますし、今この瞬間も増え続けています。その中で、ある程度現実を再現することを求められる具象表現のフィールドは、制限のない抽象表現の世界より、一見不自由で限定的に感じられます。でも、実はそうとも限りません。日々発表される新しい作品を見渡してみると、どうも抽象造形の方が先にネタ切れしかけている様に思えます。

 いや、正確に言えば、これは具象、抽象の問題ではありません。おそらく作家の制作スタンスの問題なのでしょう。お決まりのパターンだけを量産する、オートメーションみたいな現代美術作家が沢山います。彼らがそれぞれのちっぽけな鉱脈にしがみついて、目の前にある「美」を蔑ろにする結果、往々にして、グループ展は貧相な一発芸大会になってしまうのです。

 多々良木ダムや竹田城を抽象彫刻として見れば圧倒的に魅力がありますし、他にも優れた椅子や茶碗の様に美しい造形物はいくらでもあります。そして、勿論つまらない具象作品だって掃いて捨てる程あるわけです。要するに、ネタが尽きかけているのは人間の作為の方であって、形そのものの可能性は、抽象、具象に関わらず、無限です。アイデアと呼ぼうが、コンセプトと呼ぼうが構いませんが、いずれにせよ人間に考えつく形なんて高が知れています。そんなものばかり前面に出ている作品は観るに耐えません。暗くて狭い自分の中から、オリジナルと称するつまらない造形を捻り出すなど、全く愚の骨頂に思えます。

 私にできることは、目の前に現れた美を見つめ、徹底的に模倣しつつ、できる限り近づこうと努めるぐらいだな、なんてつらつら考えながら、小一時間スケッチしました。朝方の雨は止み、雲間からは眩しい空が覗いていました。立ったままでこの絵を描き終えて、ちょっと身体を伸ばしてから車に乗り込み、また長い家路についたのでした。