妙高燕温泉・惣滝

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2021年 33cmx25cm 紙、鉛筆、水彩

 このブログにも時々コメントを寄せてくれていた大切な友人が亡くなりました。彼女はずっと外国に住んでいたので、年に一度か二度帰国した時、我家を経由して新潟に帰るのが常でした。しかし、この1年半はコロナ禍で国境を超えて行き来もできず、たまにこのコメントでやり取りするだけでした。いつでもどこでも精力的に活動していた人でしたから、最近、病気の治療でちょっと新潟に戻ると聞いたときも、まあ大丈夫だろうと高を括っていました。そんな訳で、全くもって実感のないまま、上越に弔問に行くことになりました。

 朝早く出て、彼女が昔 自然ガイドを務めていた、妙高に寄ることにしました。毎度のことですが、この日も妙高山は雲に包まれていて全貌を現すことがなかったので、北側の燕温泉の方に向かいました。ここも30年前に彼女から教えてもらった場所です。まだ舗装もされていなかった凸凹道を夜中に大勢で出掛けては、満天の星空に流れ星を数えながら、ススキ原の中の湯に浸かったものでした。

 さすがに硫黄臭をプンプンさせて葬儀に出る訳にもいかないので温泉には近寄らず、吊橋を渡って奥の惣滝(そうたき)を目指すことにしました。川沿いの湯から先は人っ子一人いません。熊よけの鈴代わりに、わざと少し音を立てながら崖沿いを登っていきます。崩れた岩で足を挫きそうになったりして老化を自覚しつつ、湧き出す温泉で滑らない様、ひとり慎重に進みます。細い山道の右側は下の沢まで3、40m急激に落ち込んでいます。一歩間違えば、死なないまでも、大怪我は必至です。誰も気づいてくれなきゃ終わりだな、なんて考えながら、でも何とか無事に滝まで辿り着きました。

 この滝を絵に描くのは3度目です。度々山が崩れたりして、いつも近づけるとは限らないところなので、運良く来られた時には必ず、1時間ばかりスケッチブックを広げて対峙することになります。そして、危険なのは往復の道だけではありません。今回も半分くらい描いたところで、急に冷たい風が吹いて来たと思ったら、あっという間に辺りが濃い霧に覆われてしまいました。汗が冷え、身体がこわばります。軽装で、おまけにサンダル履きだったので、これはまずいなと思いながら、しばらくじっとしていると、やがて雲は動き、再び陽が出てきたので、命拾いしました。紅葉しかけた木々が照り映える滝口の光景を、しっかり眼とスケッチブックに焼き付けてから、痺れた脚を伸ばし、より注意深く、帰りの山道を下って戻ってきました。

 その午後、狭い箱の中で目を閉じた友人に会いました。自分のこととなるとあまり頓着しない人だったので、きっと飛石でも渡る様に、さっさと向こう岸に行ってしまったのでしょう。葬儀自体も格式張ったところはなく、ごくあっさりしていたのが彼女らしいと思いました。絵を描いている時、そんなことは全く意識していませんでしたが、彼女の顔を見る前の惣滝詣が、実は私にとって一つのイニシエーションだったことに気付きました。