上野公園のカフェにて

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2019年 27cmx33cm 紙、鉛筆、水彩

 都美術館での仕事を終え、食べ損ねていた昼食にありついたのは夕方でした。テーブルの近くにストーブもありましたから、国立博物館の方を向いたテラス席に座りました。せっかくの戸外なので、久しぶりにスケッチでもしようかと絵具を出した途端に、注文したスパゲッティがやってきてしまいました。仕方がないので、右手でフォーク、左手で鉛筆と筆を持って、描きつつ食べました。慣れていないので、思い通りには動かない左手ですが、字は無理でも、絵なら何とかなりそうです。トマトソースを跳ばさない様にしながら、小一時間でここまで描いてやめました。

 屋根だけ見える国立博物館には、先日 大雪の予報が出ている中、顔真卿(がんしんけい)を観に行ってきました。天気も悪いし、文字ばかりの展覧会など誰も観に行かないだろうとタカを括っていましたが、とんでもない。今回の目玉、顔真卿肉筆の祭姪文稿(さいてつぶんこう)は三十何年かぶりの公開とかで、中国や台湾本国からの観光客を集め、それを観るためだけに60分待ちの表示が出ていました。実際は30分くらいだったでしょうか。中国語の飛び交う行列に並んで、ようやく拝むことができましたが、考えてみれば春節真っ只中、ちょっと読みが甘かったかもしれません。

 それにしても1300年前の生々しい手稿が そのまま残っていることにはびっくりです。書聖と呼ばれる王羲之直筆の書はもう無い訳ですから、やや時代が下るとは言え、楷書の完成者 顔真卿の真筆は貴重です。祭姪文稿は玄宗皇帝が楊貴妃に溺れていた時代に、官僚だった顔真卿が、安禄山らの謀反と戦う中で、亡くした甥を悼んで書いた手稿です。書き直しや消した跡がある手紙には、感情の昂りがそのまま表れたところも見られます。何はともあれ、まるでお伽話の様な、唐の歴史上の事件が眼前の書簡中にライブで展開されているのを眺めるというのは、ちょっと感動的な経験でした。

 他にも、聖武天皇や最澄の書と共に、空海の「金剛般若経開題残巻」などが出展されていました。私は、日本史上で聖徳太子と空海だけは別格の天才だと思っています。贔屓目もあるかもしれませんが、三筆や三跡の中でも、空海の書はやはり図抜けている様に感じました。

 本当に文字ばかりでしたが、なかなか見所がたくさんある展覧会でした。いつもなら、本館の方も一通り回って行くのですが、人混みと言語の洪水に何だかくたびれてしまい、その日はちらつく小雪の中をそのまま帰りました。