表現と再現②

f:id:murakami_tsutomu:20190124140955j:plain

 「表現と再現」ということを、ポピュラーミュージックの世界で考えてみると、カバーはどうしてもオリジナルより一段低く見られる傾向があります。E.クラプトンの“I Shot the Sheriff”とかW.ヒューストンの“I Will Always Love You”の様に、成功した例もありますが、往々にしてファンは好きなアーティストにオリジナル曲を求めがちです。

 それがクラシックの世界になると、話は少し違ってきます。音楽家というのは、リスナーからすると、まず何はともあれ演奏家であり、楽譜を音として再現してくれる人のことです。昔の有名な作曲家は、バッハ、モーツァルト、ショパン、リスト、ラフマニノフなど皆、名演奏家でもありました。指揮者として活躍した、マーラーやバーンスタインの様な人もいます。そうしてみると、殊更オリジナルにこだわる姿勢はちょっと違うんじゃないか、とも思えてきます。考えてみると、作曲者本人がライブ演奏したとしても、それは自分が作った曲を再現しているに過ぎない訳ですから。音楽の場合、再現なくしては始まらない表現なので、演奏家までひっくるめてアーティストと言われるのだと思います。

 独りよがりのつまらないたわ言を聞くぐらいなら、古典を味わい直す方が余程マシということは、どこの世界にもあるでしょう。別に自分を大指揮者と比べるつもりはありませんが、しかし実際に手を動かしてつくってみながら、古典を学び直すというのも、あながち無駄ではないと思いました。

f:id:murakami_tsutomu:20190201075632j:plain

 さて、制作中の「重源上人坐像」ですが、ひっくり返して底から見ると、こんな具合です。芯棒とそれを支える木の台はありますが、ご覧の通り、像内部は空洞になっています。実物は檜の寄木造ですから、恐らく100kg以上だと思われますが、私の模刻はそれよりずっと軽く、片手で持ち上げられる程です。軽いと言うと、「軽佻浮薄」という言葉もある様に、どうも安っぽいイメージが付きまといますが、運搬や避難を考える時、美術作品のとても大切なファクターの一つだと思うのです。造像の上でも、軽さは重力に対して何かと有利です。自重で形が崩れたりすることがありません。イメージ通りのフォルムを実現し易い、この技法のメリットを活かしつつ、実物のスピード感まで再現できれば上出来です。作業は今、成型の仕上げに入ったところです。