My Favorite「国語」


2018年 高170cmx幅160cmx奥行60cm 麻布、樹脂、漆、木、紙、他
平成30年9月16日(日)まで、神奈川県展に出展されていた作品です。本当は今秋開催の「第7回あさごアート・コンペティション」に出展するつもりだったのですが、あさごの搬入、搬出日共どうしても都合がつかなかったので、近場の神奈川県展で発表することにしました。
あさごの室内作品展には、2005年の「第4回あさご芸術の森大賞展」以来、ずっと皆勤で出し続けていたのですが、これでとうとう途切れてしまいました。先日、東京でお会いした藤本イサムさんも「今回は忙しくて出せなかった。」ということだったので、また次回展での再会を期して握手してきました。

今年の春、TARO賞展に出品した、身近な人たちの半身群像を、私は「PW〜」というシリーズとして構想し、形にしています。粗い麻袋のシャツ姿で錆びた鉄棒に固定された、戦争俘虜としての日本人像は毎年少しずつ増殖しています。そして、それより前から私がつくり続けている、もうひとつのシリーズがこの「My Favorite」です。敬愛するアーティストや人物を、特に様式に拘らず、オマージュと共に彫像にしています。ただMy Favoriteは言ってみればシリーズ名ですから、「国語」というのがこの作品の本来のタイトルになります。
今回のモデルは、それぞれかつて私の同僚だった、素晴らしい国語教師です。お互いに面識ぐらいはあったと思いますが、この二人が同じ職場にいたことはなく、特に深い付き合いがあった訳ではありません。年齢も出身も、そしてモデルになってもらった時期も別々ですが、しかし一枚板の上に載せると、これがぴたっと当て嵌まる様に空間が決まりました。
さて、世の常識人が指摘する通り、義務教育で身につけるべき最も大切な素養は「国語」だと私も思います。言語力さえあれば、その他の学問は独学できますから。しかしながら、中学校で教科として国語を教えることは、そう簡単ではありません。受験やテストで点数を取るための技術を授けるだけならまだしも、生徒が言葉に関心を持ち、その知を探求する気持ちに火を付けることのできる教師は、残念ながら、稀です。最も、それは何も国語に限ったことじゃありません。美術だって社会だって同じことです。ただ国語の場合、知性の獲得や補給を司る「言葉」に直接関わるスキルなので、他科目よりハードルが高く設定されてしまうところはあるかもしれません。割りに合わない大変な仕事だと思います。そして、それを実現している数少ない国語教師がこの二人という訳です。

作品の台には、今 育休中の同僚から譲ってもらった反古紙を貼りました。女流書家としても頑張っている、若手の国語教員による仮名書です。「大和の国にまかりける時、佐保山に霧のたてりけるを見て」という詞書に続けて「誰がための錦なればか秋霧の佐保の山べをたちかくすらむ」という紀友則の和歌が書かれています。本当は、歌の通り、もう少し秋が深まってから展示されるはずの作品だったのですが、少々予定が狂いました。
さらに、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という方丈記の出だしを思わせる、美しい木目の杉の一枚板が見つかったので、台と彫像の間に敷いてみました。
淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と またかくのごとし。