蘇鉄


2018年 27cmx19cm 紙、ペン、色鉛筆
今の職場のレイアウトはなかなかユニークで、職員室前に雑多な樹種が揃った中庭があります。夏場に蚊が多くなるのは玉に瑕ですが、一歩外に出ると緑があるというのは、生活環境として悪くありません。松や楓、枝垂桜から合歓木、栃ノ木、椿、梅、柿、夏蜜柑、李、芭蕉まで植えられた小道の一角に、この蘇鉄もあります。
蘇鉄というと、田中一村の絵を思い起こすまでもなく、南国のイメージですが、数年前それが桂離宮の外腰掛前に群れているのを見た時は、ちょっと驚きました。あまりにも日本庭園とはミスマッチな気がしていたのですが、実際目の前にしてみると、待合からの庭の眺望を遮る様に植栽された蘇鉄は、桂離宮のモダンな造園思想を体現している様で、とても斬新に見えました。最もそれらもやはり薩摩島津藩から贈られたものだそうなので、別に南国のイメージが間違っている訳ではありません。
奄美大島では、島津藩の重税に苦しんだ島民が水に晒して毒抜きをした蘇鉄を食物にして飢えを凌いでいたこともあった様です。また、奄美の主要な産業であった大島紬の泥染めにも、蘇鉄の鉄分は大切な役割を果たしていたと、ブラタモリで観ました。薩摩の幕末の躍進と明治新政府での台頭は、蘇鉄と共に生きてきた島民の犠牲の元、サトウキビや大島紬で築いた島津藩の財力が、その基盤になっていたのでした。とすると、蘇鉄という植物がなかったら、現代の日本人の生活も違っていた可能性があるということかもしれません。
さて、今年はちょうど大河で「西郷どん」もやっていますし(私は観てませんが)、夏らしいという理由で、残暑見舞の図柄をこの絵にしました。時折秋風が感じられる様になった8月半ば、誰もいない職員室前に椅子を出し、中庭の蘇鉄をペンと色鉛筆でのんびり描きました。