PW〜生きている俘虜〜②


 「PW〜」というのが、一応今作のコンセプトです。が、「コンセプト」なんて、言ってみれば作品のパッケージみたいなもので、美術作品の本質からすると、どうでもいいことの一つです。「今度出店する居酒屋は俘虜収容所ってコンセプトでいこう。」という様なものです。中にはそれを作品の骨格のように大事に考えている作家もいます。でも、造形を忘れたコンセプチュアル・アートなんてものは大概、既製品を重ねただけのオブジェか、せいぜいが出来の悪いアミューズメントパーク止まりです。芝居の跳ねた後の舞台装置のように、それらはいつも空虚に私たちを迎えます。
 別の言い方をすれば、「コンセプト」は文学におけるストーリーみたいなものかもしれません。物語によってしか文学に近づけないとしたら、残念なことです。作者の本質は、物事の語り口や目の付け所、手触りに出ます。その作家にのめり込んでしまったら、例え物語が破綻していたとしても読むのであって、「面白くはないけど好き」ということがあり得るのです。小林秀雄にも途中で投げ出してしまった「感想」という長編のベルグソン論があります。小林本人はこの作品を永遠に抹消したかったらしく、出版を禁止しようとしていましたが、愛読者にとってそれは、いろいろな意味で、とても興味深い作品であることに違いありません。

 さて、「PW〜」に話を戻すと、今回私がつくりたかったのは二人の人物であり、そのリアルな存在感を際立たせたいという思いが全てでした。モデルは自分と前原冬樹です。出会った時、歳と身長と体重が一緒だった二人を36年後に再び並べてみることにしました。
 前原には、一昨年の夏ファミリーレストランで晩飯を食った後、外で何枚か写真を撮らせてもらいました。つくりはじめてからは、時々奴の出演したテレビ番組を再生して観ながら仕上げました。自分の方は言うまでもなく鏡を使っての作業でした。あちこち左右逆なので、他人から見る私の印象とは異なるところがあるかもしれません。

 二人の前に立ちはだかる柵については、どうするか最後まで迷いました。そんなものはお節介で邪魔な説明書に過ぎないんじゃないか、という疑問はなかなか拭えません。ただ、やはりコンセプトが見える方が、作品に興味を持つ人の多いのも確かです。いや、むしろコンセプトのわからない作品には近づいてもくれない人がほとんどかもしれません。しかしながら何度も言うように、それは諸刃の剣で、あまり前面に出しすぎると本質を隠す雑音になりかねません。結局、柵がコンセプトそのものを象徴し、結果的にそれを風刺することにもなると考え、とりあえず置いてみることにしました。必要なければやめるだけの話ですから。
 像と同じ木の台座とスチールアングルで支柱を立て、ワイヤーを張ります。本当は有刺鉄線にしたいところですが、観る人に怪我をさせるわけにはいきません。そこで使ったのが、20年ほど前に工事現場で拾った、錆だらけの針金でした。何となくずっととっておいたのですが、こんなところで役に立つとは、という感じです。伸ばしてみると7m位あったので、四等分にして、穴をあけた支柱に通しました。
 実際、柵を立ててみると、神社の鳥居のような、一風変わった作品の正面が出来上がりました。ワイヤーの形作る平行線は、警察署で容疑者が撮られる写真の目盛のようで、作品に予想外の効果も加わりました。果たしてこれで正解なのかどうかわかりませんが、兎にも角にも展覧会は始まってしまいました。本当はもっと沢山の群像として作品にしたかったのですが、時間切れです。今回は二体仕上げるので精一杯でした。せめて鑑賞者には、なるべく見えないパッケージに捉われず、造形そのものを味わってほしいというのが、私のささやかな願いです。