空間と作品 ④

 今からちょうど3年前、初個展の時には、あさご芸術の森美術館の約150㎡のスペースを自由に使って良いということだったので、まず工作用紙で1/50の模型を作って頭の中の設計図を固めていきました。もちろん展示作業の段で臨機応変に変えたところもありますが、作品の高さや間隔のイメージを大体つかんでおくのに、こんな簡単な紙工作が結構役に立ちました。

 だいたいひとつの彫刻作品の形ができるのは3〜4週間ですが、完全に乾かして漆を塗り終えるまでには半年ぐらいかかります。その間、ずっと生活空間を共にしながら、削ったり足したりの修正を加え続けます。制作中の作者は、取り敢えず全てをそこに注ぎ込むつもりでいます。作品は、ある意味、世界を表していると言ってもいいでしょう。だから彫刻は全身像に限る、ということではないですが。とにかく、半身像であれ頭像であれ、ひとつの形として完結していなければ話になりません。
 但し、完結した形と完全な形は違います。「サモトラケのニケ」は完全な形ではありませんが、造形としては完結していると思います。他にも不完全ながら、手だけが残った仏像とか、焼け残った経巻とか、(多分に骨董的な意味合いにおいてですが)完結している美術品はたくさんあります。しかし、それらは作者の手ではなく、長い年月によってトリミングされたからこそ価値を持つのでしょう。私の作品も、400年後に損壊を免れた一部が発掘されれば、少しは持て囃されるかもしれませんが、だからと言って初めから切り取ってみせる必要は感じません。それより、作品が風化しながらも不器用なぐらい誠実な姿で立ち続けることの方が、私にとっては大事です。

 こうしてひとつひとつ思い入れを背負った作品が、一堂に会する中でそれぞれの世界を保つためには、充分間隔をあけて展示しなければなりません。出品点数のやたら多い公募展などはもっての外ですし、個展であっても、作品相互の干渉はできるだけ避ける必要があります。同じ空間に人の形が2つ以上あると、すぐに物語が生まれてしまうことも問題です。視覚芸術に「時間の経過」を思い起こさせる文学性はいりません。作品同士の間合いを無視して、おかしな並べ方をすると、テーマパークの安っぽいジオラマみたいになってしまいます。その点、あさごでの初個展は、共食いや陳腐な掛け合いとは無縁の、ゆったりした会場で気持ち良くやらせてもらいました。
 せっかく作品をまとめて展示する機会があるのなら、余り気負わず、会場全体のレイアウトについて、できるだけ冷静に考えておくべきだと思います。箱庭みたいな工作用紙の展覧会場に、小さな彫刻をああでもない、こうでもないと置いてみるのはなかなか楽しく、そのリハーサルがあったお蔭で実際の展示作業はかなりスムーズに進みました。美術館のスタッフからは「本当に一人で準備しちゃうんですね!?」とびっくりされながら、車に積んで行った作品を、ほぼ半日で展示し終わりました。