大井戸茶碗


2014年 高9.4cmx径15.3cm
 井戸は熊川(こもがい)や三島などと同じく高麗茶碗のひとつということになっていますが、厳密に言えば違います。井戸茶碗が焼かれたのは高麗時代ではなく、少なくとも15世紀以降、つまり朝鮮時代です。桃山時代の茶人たちが、それまでの茶席の主流であった天目や青磁に対して、朝鮮半島から運ばれた茶碗をまとめて高麗茶碗と呼んだのが始まりで、その後ずっとその呼び名が定着してしまったようです。
 さて、生き物の個性は遺伝と環境で決まりますが、焼き物も同じです。新品の器が、使われることによって、育っていきます。割れたりしない限り、形が大きく変わることはありませんが、色や質感はかなり違ってきます。特に井戸のような軟質で、無地の陶器(軟質磁器とする説もあります。)は変化の幅が大きいようです。焼き上がったばかりの均質でのっぺりした器肌が、年月とともに貫入や滲み、梅花皮(カイラギ)といった古色を纏(まと)って、味わいを増していきます。それは人の顔の皺や心の襞(ひだ)のように、大人の魅力であると同時に、器が辿ってきた歴史そのものとも言えます。この茶碗はまだ生まれたてですが、これからどう成長していくのか楽しみです。
 今回の茶碗は前回載せたものhttp://d.hatena.ne.jp/murakami_tsutomu/20141220より貫入が細かく、高台周りも柚子肌状に焼き上がりました。縮れた粒々にはなっていませんが、時間が経ってもう少し貫入や気孔がはっきりしてくれば、一応カイラギらしきものにはなりそうです。これまでは轆轤成形したものを一度素焼きしてから釉掛けしていましたが、今回は乾燥させただけで釉薬を生掛けして焼いてみました。考えてみると、16世紀の朝鮮や対馬では、素焼きなんてしていなかったはずです。水分を飛ばすには天日で十分なのに、わざわざ薪や時間を無駄にする必要はありません。故(ふる)きを温(たず)ね、余計な工程を省いた結果、素朴でストレートな茶碗ができました。