志野ぐい呑


2014年 各高5.3〜6cm、径7.3〜8cm
 正月用のぐい呑を織部唐津など取り混ぜてたくさん作った中で、志野も10個ほど焼いてみました。実はぐい呑という器、そんなに昔からある訳ではなく、昭和30年代から作られ始めたのだそうです。陶芸家によっては釉色を見るためのテストピースとして焼いたりするようですが、コレクションするにも手ごろな大きさです。
 ただ、志野は土が粗いためか、そのまま使うと多少沁みるのが難点です。使う前に米の研ぎ汁に浸すとか聞いたことがありますが、気休めかもしれません。

 これは上の5個のうち左から2番目のやつです。全体にうっすら火色が出てピンクがかった焼き上がりになりました。色は面白いのですが、質感はあまり志野らしくありません。轆轤引きした器の表面は滑らかで、そのまま釉掛けして焼くとこんな仕上がりになります。ただ高台の周りだけは箆で削っているので、荒れた土から出た気泡の跡が無数の小さな穴になっています。志野特有の柚子肌にしたいと思ったら、もっと全面に箆を入れなければなりません。

 こちらは右から2番目です。橋文の茶碗をそのまま縮小したようなぐい呑になりました。口縁や腰に赤い焼け焦げが出ていますが、これも偶然ではありません。失敗に失敗を重ねて焼き続けているうちに、やっと緋色の出し方に気付きました。何のことはない、ちょっと釉薬を薄くしてやれば良かったのです。こうしてひとつひとつわかってくると、志野という焼き物が如何にも天然のようで、実は隅から隅まで計算づくで作られていることに感心してしまいます。