井戸茶碗


 この週末は根津美術館で「戦国武将が憧れたうつわ〜井戸茶碗」展を観てきました。井戸茶碗というのは16世紀に朝鮮で焼かれた碗型の陶器で、それを桃山時代の茶人や戦国武将が目と手で愛でる美術品として高く評価しました。韓国ではずっと雑器として扱われていましたが、日本人があまりにもありがたがるので、最近になって見直す動きも出てきました。小汚い「犬の餌用の器」から一転して「祭器としてつくられた」神聖な器へと格上げになり、箔付けのために(?)窯跡の調査なども盛んに行われるようになりました。

 井戸茶碗は形や色、大きさによって大井戸、小井戸、青井戸と分類されますが、私はやはり堂々とした姿の大井戸茶碗に惹かれます。例によって、自分でも再現できないものかと何度か試みましたが、なかなか思うようにいきません。大井戸茶碗の見どころとしては、ろくろ目、竹の節高台、梅花皮(かいらぎ)、目跡、糸切り跡等いろいろ喧しく言われますが、実際に作ってみると何より全体の佇まいを整えることが難しく、そこに偶然を含むすべての要素が加わるなど、とても不可能なことに思えます。柳宗悦は国宝「喜左衛門井戸」について、土百姓が裏山から掘った土を中心のずれた轆轤(ろくろ)でひき、炉の灰をかけて焼いた消費物と断定しています。真実はわかりません。しかし、口径15〜16cm、高さ9cm以上の大きさでありながら、重さを450g程度に抑える成形技術はなかなかのものですし、灰釉ではあのような貫入(陶器表面の細かいヒビ)や梅花皮(高台周りの釉薬の粒々)ができない気がします。上の写真は、私が唐津土を轆轤引きして焼いたものです。高台が大き過ぎたのか、500gを超えてしまいました。焼成温度が高かったのかもしれませんが、灰釉をかけた表面はつやつやで梅花皮もできませんでした。そこで、同じ土に長石釉をかけて焼いたのが下の茶碗です。やはり梅花皮はありませんが、光沢は少し抑えられました。まだまだ満足のいくものはできない中、手で理解したこともあります。例えば、井戸茶碗の轆轤引きは土を真っ直ぐ上に引き上げるぐらいにすれば、遠心力がちょうど良く口縁を広げてくれる、云々。

 小林秀雄は「喜左衛門」のことを「ジョボタレ井戸」と書き、同じ井戸なら「筒井筒」の方が上だと言っていますが、やはりその彫刻的な造形美は認め、それを見い出した鑑識眼は確かであると述べています。柳宗悦も平々凡々たる飯茶碗を「大名物」とした桃山の茶人たちの驚くべき創作力、直観力を賛美しています。今となっては井戸茶碗の本当の出自はわかりません。ただ、その価値が本国ではなく日本でのみ生き永らえてきた事は偶然ではないと思われます。恐らく、井戸茶碗の中には日本人なら誰もが感じ取れる「良さ」が含まれているに違いありません。