織部稲穂文・注連縄文向付


2014年 各 高6cmx幅15.5cmx奥行15cm
 桃山時代織部焼は、茶碗や水指といった所謂茶席の主役ではなく、主に懐石の器として爆発的に流行していきました。向付(むこうづけ)もそういう食器の一つです。膳の飯碗と汁椀の奥に、大抵はお造りを盛って置かれます。織部の器はそれまでなかった自由な形とカラフルなデザインで、茶陶を超えて人気を博し、瞬く間に一般にも広まりました。

 織部や絵志野の図案は、軽妙なスケッチ風のものから極度に抽象化された文様まで色々ですが、決して身近な風物を筆に任せて描いている訳ではないようです。2007年に出光美術館で『志野と織部―風流なるうつわ―』という展覧会が開かれました。それによると、度々志野や織部のモチーフに使われた「橋」や「門」、「檜垣」、「籠目」、「勧請吊(かんじょうつり)」などは彼岸と此岸、或いは聖域との結界を表しているのだそうです。気楽な挿絵のようなものかと思いきや、かなり意図的に共通の世界観で統一されていました。果たしてそのプロデューサーが古田織部だったのかどうかは謎のままですが。

 これらの器は、作った粘土の型に薄くスライスした土を被せて成形した後、底に3つ脚をつけてあります。素焼きしてから、鉄分を含む鬼板という土で絵付けをし、半透明の長石釉、さらに緑に発色する酸化銅を混ぜた灰釉をかけて本焼きしました。かつての日本人が最も大切にした稲穂と注連縄、そして神の訪れを告げる千鳥を文様にしました。神道などと言うと胡散臭くなりますが、自然や季節に対する畏れや敬いをこんな形で表現してきた、和の伝統は絶やさずにいきたいと思います。