本阿弥光悦 ① 

 史上、国宝に指定されている日本製の茶碗は2つしかありません。ひとつは作者不詳の志野茶碗「卯花墻(うのはながき)」ですが、もうひとつが本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)作の「不二山(ふじさん)」という楽茶碗です。光悦は刀剣鑑定、研ぎを家業とする京の名家に生まれ、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した書家にして工芸家、或いは今で言うアートディレクターのような存在です。光悦にとって、茶碗作りは余技だったにもかかわらず、ろくろを使わない手づくねのひと碗ひと碗にそれぞれの味があります。楽家2代常慶や3代道入から作陶環境を提供されていたようですが、長次郎でもノンコウでもなく、言わばアマチュアである光悦の「不二山」だけが国宝というのは何か芸術の本質を暗示しているようです。

 これはもちろん光悦茶碗ではありません。赤楽風を意識して私が作ったものですが、焼成温度が高すぎたのか、かなり色が薄くなってしまいました。下の茶碗は釉薬を減らしてカセた肌にした分、赤味は強く出ました。光悦の茶碗は楽本家のプロがつくるものと比べて、大きさも形も自由でおおらかな感じがします。

 五島美術館の特別展「光悦 桃山の古典」が今日までということなので出掛けてきました。茶碗はもちろん、書状や和歌巻の類も充実していて楽しめました。俵屋宗達を見い出し、絵と書のコラボレーションを完成させたり、工芸集団を率いて硯箱や経箱の名品を量産したりと、その多才多芸ぶりには驚かされます。実際、白楽茶碗「不二山」、「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」、「舟橋蒔絵硯箱」とバラエティに富んだ分野で国宝を生み出すことができたのは、日本美術史上、唯ひとり光悦だけでした。
 今回、出展されていたものの中で印象的だったのが、光悦の孫に当たる本阿弥光甫(こうほ)作の「本阿弥光悦像」でした。写真では見たことがありましたが、あんなに小さな像とは知りませんでした。何やらいわくつきの梅の木に彫られた光悦は、両手に乗る位の愛らしい木像でした。この像をつくった光甫は「本阿弥行状記」を著していますが、その中で光悦が生涯「へつらひ事」を嫌ったと書いています。町人でありながら、公家や大名とも交流のあった光悦ですが、誰にも媚びへつらうことなく、我が道を行く人だったようです。1615年、光悦は徳川家康から京都鷹が峰の地を拝領し、ここに一族郎党で移住して一種の芸術村をつくりました。光悦の影響力を畏れた家康による所払いとも言われていますが、当の光悦はそんな理由には頓着せず、洛北での文化的な毎日を楽しく過ごしたようです。ものづくりに関わる全ての人間にとって、もちろん私にとっても、光悦が実現した芸術村「鷹が峰」は憧れの桃源郷に違いありません。