イデアについて ②

 求められる機能や条件の中で、奇をてらうことなく、無駄を省き、木のクセをなだめすかしながら削っていきます。同じ材でも木目によって刀の入れ方は違います。結果として、出来上がるスプーンの形も全く同じものにはなりません。特にヘッドは、首に近い部分が太く先に行くにしたがって細くなるスペード型や、中央部分が最も太く首と先端が対称的に細くなるダイヤ型など、少しづつ変えて作ってみました。木目のクセもありますが、実際に使ってみないと、どの形が本当に良いかわからないので、敢えてバリエーションを持たせてあります。
 スプーンの凹面は、口に入る大きさの中で、限りなく深さや広さを感じさせるものでなくてはいけません。柄は、全体のバランスを乱さない範囲で、握りやすく、存在感のある形が理想です。と言って、ごてごてと装飾的な彫刻などは必要ありません。今回は刀で削った跡をそのまま表情として残すことにしました。

 スプーンのイデアは視覚から、そして作る指と使う指、さらには唇や舌の触覚を通して降りてきます。漆を塗ってしまえば関係ありませんが、削る時のカリンの芳香、刃応えや音も制作を後押しする大切な要素です。使う場面まで想像すると、食器に優しい音、柔らかい口当たりで運ばれる料理の味なども、木製スプーンならではの贅沢でしょう。こんな風に五感を総動員して、少しずつイデアをはっきりした形にしていくのが木工制作の醍醐味です。
 さて、人が目的を持って制作するとき、理想となるモデルは、結局、常識的な線に落ち着いていきます。こうしてみるとデカルトが判断や行動の規範とすべしと言った、「我々の持って生まれた精神の或る能力」、つまり「常識」こそイデアの源泉だという気がします。誰もが生まれながらに持っていて、しかも万人に共通の正しい感覚=「常識」の不思議な働きについて、デカルト人智を超えたものと見ていました。もしかすると、古代中国で老子が「道(TAO)」と呼んだのも同じものだったかもしれません。

 さあ、削りはだいたい終わりました。ヘッド部分だけもう少し研ぎ上げてから、拭き漆をして仕上げます。