読書について ②

 『日本文学史序説』(加藤周一 ちくま学芸文庫)は、上・下巻で1000ページを超す分厚さに気圧されて、なかなか手に取る勇気の出ない本ですが、はたして一昨年末に開くと、引きずり込まれて一気に読み終えてしまいました。とにかく著者の識見の高さや教養に圧倒されながら、気が付くと文学に止まらない「日本文化の形」といったものが自分の中で像を結び始めた感じです。それは昨今の安っぽいナショナリズムから来る日本文化優越論などとは全く関係のない、外圧と土着の歴史が雑じった、しかし掛け替えのない形とも言えます。

 どこの国でも、政治やメディアに踊らされる人達は、自国(地域)の文化が一番だと思い込みたがるようです。しかし、まず、それが相対評価や順位づけされるものだと信じていること自体、間違っています。どちらが上とか下ではなく、文化とはどこかでたまたま生まれた芽が交雑によって育つものです。周囲から隔絶された所では、ある面で突出した文明を持ちながら車輪を知らずに滅びてしまったマヤ文化のように、いずれ消えてしまいます。中国や西洋の強い影響を受けていない日本は考えられません。かと言って、それをコンプレックスにする必要もありません。凡そ地球上に、自分たちの作り上げた文化だけで、現在の生活総てを賄える民族なんていないのですから。純粋な日本文化=純粋な雑種文化は、言語として既に破綻しています。「国粋」なんて言葉には何の意味もありません。だいたい「日本文化が一番」と力説する人間に限って、『源氏物語』すら読んだことがないなんてナンセンスです。