彫刻について ⑤

 個展会場にいると、時々「こういうのを何と呼べばいいんですか?人形?彫刻?」と質問を受けます。私自身は、非実用的な立体作品はすべて、人形も含めて、彫刻だと思っていますが、そう考えない人も多いようです。
 かなり前になりますが、あるコンクールで私の作品に票が集まりかけた時、審査員だった一人の彫刻家が「これは彫刻じゃない。」と強硬に反対したため、入賞が見送られたことを後日その場にいた画廊の社長から聞きました。まあ、その彫刻家の言うことにも一理はあります。空間との関係をヨーロッパの伝統的方法で追及することが「彫刻」だとすれば、私の作品はいかにも亜流に見えるでしょう。それは「哲学」がヨーロッパのものだから、日本の思想は哲学じゃない、というのと同じことです。しかし、そうして狭義に囚われていると、結局日本人は「彫刻」から締め出されてしまうことになります。幸か不幸か日本に生まれた私にとって、厳密に西洋彫刻のルールの中でゲームに参加することは、出遅れた追従からのスタートを意味します。私には、あの審査員の彫刻家が、G8サミットの末席にいる貧相な総理大臣に思えてなりません。

「昭和」http://d.hatena.ne.jp/murakami_tsutomu/20111106
 いつの時代も、外国から入ってきた枠組みを利用しながらディテールを積み上げ、結果的に別の形を生み出す、というのが日本文化のひとつの特徴です。(それについては加藤周一丸山真男が興味深い論を展開しています。)隋や唐から入ってきた仏像は天平・鎌倉彫刻になり、明治になって入ってきた西洋彫刻は木彫の伝統と雑じりあって高村光雲平櫛田中を生みました。もっとも光雲などは自分の仕事をずっと木彫や彫工と言っていますし、「彫刻」なんていう大仰な考えに関心はなかったようです。私も自分の作品がどう分類されようとかまいません。ただ、質問される度に立体造形作品とか説明するのも面倒なので、さしあたり「彫刻」ということにしておきます。大切なことは作品が彫刻かどうかではなく、世界から見た時、日本人にしかできないユニークな表現になっているかだと思います。