重源上人坐像


 日本の肖像彫刻史上最高傑作と言われるこの像を、写真では勿論知っていましたし、是非観たいと思っていました。これまで東大寺は、修学旅行の引率や下見も含めると、少なくとも15回以上訪れているはずなのに、しかし残念ながら俊乗堂開扉時期に当たらず、ずっと機会を逃していました。今回、神奈川県立金沢文庫で公開されていることを知り、本日、文字通り朝一番で行ってきました。
 誰もいない展示室に入ると、まさに等身大の高僧はそこにいました。800年の歴史が刻まれた像の表面は風化し、彩色がところどころ剥がれていますが、それによって老人の表情はかえってリアルさを増しているように感じられました。当時、慶派の仏像には水晶の玉眼がよく使われていましたが、この像では余計な手間をかけず、彩色のみで表されています。相貌や衣紋の表現にも無駄がなく、刃物のキレとスピード感があふれています。割合短時間で仕上げられたと想像しますが、日本人好みのディテールまで、左右の目の表情を変えたりと、最高に腕の立つ仏師の仕事であることは間違いありません。さらに彫刻として、ミケランジェロロダンを見慣れた現代から見ても、完璧なボリュームを既に800年前に実現していたことには驚くばかりです。プロポーションや懐の深さも申し分なく、ずっと見ていたくなるような引力があります。
 作者について、恐らく運慶だろう、しかし重源との関係を考えると快慶かもしれない等、いろいろ憶測はあるようです。ただ、像を観ていると、誰が造ったかなんてことはどうでもいいことに思えてきます。それは、銀座に行くのに丸の内線で行くか銀座線で行くか程度の違いで、要は俊乗房重源その人がこうして存在し続けていることが総てということでしょう。作者を超えた作品というものが確かにあるのです。歴史の必然性の中では、個人の自我など採るに足りません。

 さて、今日初めて行きましたが、金沢文庫称名寺という大きな寺の中にありました。展示室のある建物を出て、小さなトンネルをくぐると、目の前に木々の色づいた桃源郷のような景色が広がっていました。