本阿弥光悦 ③

 今でこそ寺という体裁をとっていますが、光悦寺は本阿弥光悦晩年の住居です。果たして400年前の姿がどれだけ残されているのかはわかりません。現在は美しい庭園の中に7つの茶室と光悦やその子光瑳、孫光甫の墓などがゆったり配置されています。家康から拝領した鷹が峰山麓の広大な土地の泉が湧く場所に、光悦は大虚庵という茶室と位牌堂を建てたということですが、敷地内は案外昔のままなのかもしれません。写真は有名な光悦垣です。紅葉の時期はとっくに終わりましたが、ナンテンの赤い実が彩りを添えていました。境内は清潔で、隅々まで手入れが行き届いています。垣も所々青竹で繕われているのがわかります。本阿弥家の人々が誰もいなくなってからも、ここではずっと光悦の精神が大切にされてきたのだと思います。

 さて、今年の正月休み、スキーと京都旅行の狭間の三が日に「ボブ・ディラン自伝」(菅野ヘッケル訳 ソフトバンク クリエイティブ・2005年)を読みました。自伝と言っても、生まれてからのことが順を追って書かれたものではなく、ボブ・ディランとしてデビューする直前に始まり、章ごとに5つの異なる時期が交錯しつつ語られるという形になっています。今のところ出版されているのは全体の1/3だそうなので続刊が待たれるところですが、最初の5章だけでも充分読み応えのあるものでした。ボブ・ディラン本阿弥光悦では生まれた場所も時代も違いますし、一緒に論じる理由は少しもありません。ただ、世間との距離の取り方や自身を俯瞰する立ち位置に何か共通するものを感じて、つい重ねてみてしまいます。

 アーティストというと、押し出しが強く、我儘でマイペースな人間を思い浮かべる人もいるでしょうが、皆がそうとは限りません。中には風が吹いたり、水が流れるような関わり方で時代に記憶される人もいます。ボブ・ディランは若い頃、文字通り根無し草のように、友人の家のリビングルームを渡り歩いて暮らしていました。友人たちが仕事に出ている昼間はそのアパートの書棚にある本やレコードから養分を吸収し、夜になるとライブハウスで演奏する毎日でした。何かを所有することには関心がなく、もっぱら自分の興味を追求しながらひっそり生きていました。周りの人間も協力的で、何でも好きにさせていたのは、彼が決して自己主張や物欲ばかりのつまらない男でないことを知っていたと同時に、その存在が空気のように自然だったからだと思います。
 光悦もあまりモノや名声に興味のない人だったようです。灰屋紹益(はいや じょうえき)が著した「にぎはひ草」の中に、光悦は人の欲しがる茶道具なども持っていたが、壊すなとか失くすなとか言われるのが面倒なので、総て人にやってしまった、という記述があります。「本阿弥行状記」には、光悦自身が語ったこととして、自分は鷹が峰の良い土を使って楽しみに作陶しているだけで、陶芸家として有名になってやろうなどとは露ほども思っていない、と書かれています。光悦はただ日々を豊かに過ごすことだけに心を砕きながら、生涯誰にもへつらわずに暮らしました。狭いテリトリーにマーキングして小金を稼ぐことばかり考えている同時代の表現者たちの中で、さらっとした光悦やディランの生き方は却って超然として見えます。
 彼らの姿勢はそれぞれの創作スタイルにも表れています。二人共自分のオリジナリティを殊更に強調するのではなく、先人の足跡をたどり、自分より後の世代にも才能を見出し、それらを積極的に評価しては取り入れていきます。光悦は伊勢物語や古今、新古今などの古典をモチーフにした美術作品や書を数多く残しています。陶芸においても、光悦の創作はあくまで「楽」の延長線上にありました。一方、ボブ・ディランはそのキャリアをウディ・ガスリーからスタートし、ロバート・ジョンソンランボーまで貪欲に消化し、なぞることで曲作りや演奏法を確立していきます。
 「自伝」の中では、若い頃からボブ・ディランがマスコミに嘘をつき通してきた事情が語られています。「プライヴァシーとは、売ることはできるが買い戻せないもの」であることを知り、狂信的なファンや無神経なメディアを欺くために、わざわざエルサレムまで出向いて一芝居打ったことも告白しています。自分の影響力を誇示したり、利用したりしなければ、風のように自由に生きられるはずだったのに、家族までやっかみと好奇の目に晒され、穏やかな日常を過ごすこともままならなかったこと、時には身の安全さえ脅かされ、友人からは銃を渡されていたこと、でも有名人ゆえにそれを使う訳にもいかなかったこと等々、かなり赤裸々に綴られています。この点に関しては、光悦の時代に当たり前だったことが、もはや現代社会では通じなくなってしまいました。他人の生活を覗き見して何が楽しいのかわかりませんが、特に相手が有名人の場合、なおさら図々しくなってしまう人がいるようです。その低俗な群の代表がメディアです。大切なことは何も言わないくせに、毎日うるさいおしゃべりで知りたくもないことまで知らされてしまうのは迷惑な話です。現代人は、つきまとってくる余計な情報を振り払って、たまにはひとり静かに過ごす時間を持たなければなりません。鷹が峯には、紅葉の時期さえ除けば、今も静寂と光悦の見ていた風景があります。