展覧会について ④

 コウモリのような立場にいる今の私にとって、作品に買い手がつくことと、展覧会が成功することは全く別の問題です。今回の個展中、本気かどうかわかりませんが、何人かの方から、小さな作品であれば買いたいという申し出がありました。自分で値段までつけておいて失礼な話ですが、「でも、こんなものは自宅にあっても仕様がないですよ。」とたしなめ、商談は思いとどまっていただきました。もちろん、作品を欲しいと言ってもらって、悪い気はしません。中には、「価格設定が低すぎる」とわざわざ忠告してくださる人もいましたが、はなから利益を出すつもりはなかったので、譲らざるを得ない場合に、最低限損をしない金額にしておきました。もっとも個展を観に来た母は、それでも、息子が法外に吹っ掛けて人様から守銭奴みたいに思われているんじゃないか、と心配していましたが。

 しかし、前原のように制作を生業としている者は、そう甘いことばかり言っていられません。文字通り、それで食っている訳ですから、売れることは展覧会の目的であり、条件でもあります。買い手がつかなければ、下手をすると、もう次はないかもしれません。奴が生き延びることは、私たちが「一刻」(前原冬樹の彫刻作品のシリーズ名)を観るための大前提なのです。人手に渡った作品が二度と観られないとしても、次回作が観たければ、やはり誰かに買ってもらう必要があります。全く世話の焼ける話ですが、絶滅が危惧される、こういう特別天然記念物級の作家は、世の中が保護していかなくてはなりません。とは言え、個人がポケットマネーで買えるような代物でないことも確かです。前原自身は、贅沢と言えば時々パチンコに行くくらいで、乗っている車はエアコンも効かないオンボロです。いつも修道僧ぐらい質素に暮らしていますが、その作品は決して安くありません。やむを得ないでしょう。一つの作品に掛かりっきりで3〜4か月費やすことがザラですから、一点ずつの価格は当然のことながら上がってしまいます。数百万円になることさえあります。それでも、金持ちの茶人が床の間に飾る骨董だと思えば、決して高すぎるとは言えないでしょう。美術館や企業は、日本人にしかできないこういう仕事をこそ買い上げて、一般に公開してくれたらいいと思います。
 私は別に作品を売ることを堕落とは思いません。副業も生活保障もない前原の仕事は、中途半端なアマチュア作家などがとても太刀打ちできない、緊迫感を持っています。奴は自分のことを「職人でいい」と言いますが、その作品は決してパターン化していませんし、世界を俯瞰する目は確かです。むしろ、片手間に作ったようなつまらない作品を、あわよくば誰かに売りつけようとする素人衆こそ、えげつない商売人そのものです。相手が美術関係者や組織ならともかく、一般の人に作品を売るということについては、作家として相応の覚悟と責任が求められると思います。私にはまだ無理かもしれません。