大橋先生


「昭和」2011-11-06 - 村上力(むらかみ つとむ)ブログ美術館より
 ちょっと気取って「如月会」と呼んでいますが、毎年恒例の拙宅での宴会に、今年も大橋先生が出席してくださいました。とても83歳とは思えないほどお元気で、最近はKAPAという樹皮布文化を辿ってハワイまで足を延ばされているそうです。相変わらず話題が豊富で、その樹は日本語の「梶」に当たり、諏訪大社のシンボルマークになっていること、その文化圏は言語を伴い広く太平洋を覆っていて、日本もその中に含まれること等、とても面白くお話しくださいました。皆、KAPAのお土産を、サイン入りでありがたくいただきました。ちょっと厚めの和紙といった感じですが、これを砧のようなもので叩いていくと、ハワイ王族の衣装にも使われた、艶のある布になるそうです。梶の木はクワ科ですから、ちょうどシルクのような感じなのかもしれません。

 大橋先生は日本折紙協会の理事長も務められ、当日も「はばたくはと」を手ずから折って娘にくださいました。現在、練馬区美術家協会会長、上越教育大学名誉教授でもあられる先生ですが、画家として素晴らしい仕事をされていることが何より凄いと思います。近年は沖縄各地を取材され、スピード感溢れるナイフのタッチで大作の風景画を次々とものにされています。私は実際に行ったことがありませんが、先生の絵が今や私にとっての沖縄のイメージになっています。すべての絵に、卓抜した色彩センスは表れていて、特に与那国島の牧場や宮古島を描いた風景画の緑には驚かされます。普通これだけの面積を緑色の絵の具で塗ると、いやらしい人工的な感じになってしまうものですが、先生の絵はとても爽やかで自然に見えます。月並みな言い方をすれば、率直で好奇心の強い先生の人柄がそのまま絵になっているということでしょうか。
 芸大で直接指導を受けた最後の世代として、今回は安井曾太郎の思い出も語ってくださいました。あの人は口下手だったから言葉で学生を指導するのは苦手だった、とか、長身痩躯の背中を折るようにして学生の絵を覗き込んでいた、とか、安井の物や絵を「見る」という力に関しては尋常ではなかった、だから渡欧時代のデッサンはずば抜けていた等々、日本近代美術史の一コマをまるで昨日のことのように話していただきました。
 いつも先生を囲んで、話は尽きません。でも今回、一番感激したのは、先生が昨年春の私の個展をわざわざ訪ねてくださっていたことです。会場に置いてあったノートにお名前もなかったので、まさか先生が朝来まで新幹線、播但線と乗り継いで行ってくださったとは思いもしませんでした。町田から日帰りドライブで往復してくれた井上さんにも驚きましたが、たかが一教え子の個展に兵庫県のはずれまで出掛けてくださった大橋先生には最敬礼です。今年の如月会に先生がいらしてなかったら、危うく私はそのことを知らず終いになるところでした。