立体と平面、具象と抽象について ④

 抽象作品が並んだ美術館で、具象彫刻に出会ってほっとしている人がいますが、考えてみるとおかしな話です。今でこそ世間は着ぐるみやフィギュアみたいな人形だらけですが、一昔前は意図的に人の姿を再現したものと言えば、仏像ぐらいでした。
 逆に、抽象的な造形は身のまわりにあふれていました。神社の鳥居、墓石、風鈴、提灯、花火、飛石、灯籠・・・。蹲(つくばい)や五輪塔などはそのまま現代の抽象彫刻としても通用しそうです。さらに、茶器のように「用」を目的にしながら美的であることの方が大切にされる焼物や、建築物でありながら外から拝む五重塔だって抽象造形と言えるかもしれません。嘗て日本で「抽象」は生活にとけ込んでいました。

 寧ろ、人々が最も異様に感じたのは人の形をした人でないものでした。予想もしないところに人の姿を見つけたり、明らかにスケールの異なる人に出会ったりすると、誰でもぎょっとします。恐らく仏像というのは、そういう形で見る者に畏敬の念を起こさせるように造られていたはずです。
 最近は和みとか癒しが持て囃されて、彫刻も口当たりの良いものばかり増えました。でもその中で、何か得体の知れない強さを持った、本来の具象彫刻を造ることが目下の私の課題です。