芸術(art)とは何か

「芸術(art)とは何か?」という問いに、私なら「最高レヴェルのエンターテイメント(娯楽)」と答えます。芸術を何か神聖なものと捉える向きには叱られそうですが、それがどんなに高尚であったとしても、直接人の生死に関わらない嗜好品であることは確かです。そして、エンターテイメントである以上、それを受け取る人が一人もいなければ成立しないと言えますが、「最高レヴェルの〜」という但し書きには受容人数の多寡でその価値は測れないという前提が含まれます。それはそうです。歯応えのないファストフードみたいなものが最高の料理であるはずはありません。商売繁盛と品質は別物です。わざわざ間口を狭める必要もないですが、大勢に支持されたものが必ずしも優れた芸術作品でないことは、誰でも知っている通りです。

加藤周一が「文学とは何か」という本で、「文学」と記事の様なただの文とを分ける条件をあげています。これがそのまま「芸術とは何か」という問いへの答えになっている様に思います。加藤はまず、文学とは作者の経験を、抽象的普遍性でなく、具体的特殊性において表現したものである、と定義します。勿論、ここで言う具体的特殊性というのが、抽象彫刻に対する具象彫刻を指す言葉でないことは明らかです。抽象表現であろうと、具象表現であろうと、誰でも同じことをなぞれる様な一般的な表現では、見るに値しないということが語られている訳です。同じことを岡本太郎も「日本の伝統」の中で、芸術表現はパティキュラーであることが大事だという言い方で述べています。
さらに加藤は付け加えて、「文学」は作者の世界全体に対する態度をその中に含まざるを得ない、と語ります。つまり、作品に作家の思う「世界」が表されていなければ、それは文学(=芸術)じゃないということです。思い切り雑に要約してみると、芸術とは、作者の持つその時々の世界像が、作家特有の表現によって表されたものであると言えそうです。
さて、芸術作品中の作家の世界像は、現実を再構築する際に、作者が何を省き何を残したかに表れます。ジェームス・ジョイスが、二人の人物の心に映るたった1日の出来事だけで、「ユリシーズ」という長大な小説を書いた様に、現実世界は途方もなく、その全てを再現する事など到底不可能です。作家が、何を作ったかではなく、何を割愛することで自分にとって大事な世界を残そうとしたのかが、芸術を解き明かす鍵なのかもしれません。でも、その問題は今でなく、またいずれ考えたいと思います。