私の修業時代 ②

 今になってみると、大学を出てすぐに公立中学校の教員になったことはよかったと思います。1985年当時は、まだバブルの最中で、他の選択肢もない訳ではありませんでした。バイトをしながら、版画を売って生活するなんてスタイルが通用した時代でした。
 むしろ、その頃はだいぶ下火になったとは言え、校内暴力全盛期で、「なんで、よりによって中学校の教員になるの?」とか、「お前も相当、物好きだな。」なんて言われたものでした。まあ、他に就職活動もしていませんでしたし、たまたま目の前に採用試験があったという偶然もありましたが、なにより私には、教員以外に美術を続けていく方法が思い浮かばなかったのです。

 さて、やってみて、中学校の教員という職に対するイメージがかなり大きく変わりました。まず予想外だったのは、美術以外の仕事がやたら多かったことです。私は美術科で採用されたので、美術が6割、他の仕事が4割くらいかな、と思っていました。しかし、実際には美術が1割か2割で、ほとんどは美術以外の仕事でした。とても職業として美術を続けていくという環境ではありませんでした。