泉涌寺仏殿

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2019年 27cmx33cm 紙、鉛筆、水彩

 修学旅行三日目は、今やどこの学校でも定番になった、タクシー班行動でした。班毎の希望見学地を運転手さんが案内して、決まった時刻に京都駅まで送り届けてくれるという、教員にとっても有難いプログラムです。ただ一つ困るのは、教員分のタクシーは割り振られないため、それぞれが生徒の行きそうな所を回りつつ、自力でホテルから駅まで辿り着かねばならないことです。とは言え、大勢を引率して歩くのと違って、気楽な半日であることは間違いありません。

今年は少し早く駅に着いている必要があったので、なるべく京都駅近くの寺に行ってみることにしました。折しも平成から令和にかわり、皇室がクローズアップされているタイミングだったこともあり、玄人のタクシードライバーならば、泉涌寺を勧めたりするんじゃないかと思ったのが大きな読み違いでした。スケッチしている間、生徒はおろか、一般の観光客もほとんど来ませんでした。京都中が修学旅行生と外国人観光客でごった返していた時に、遠くの方から大工仕事のトンカチいう音だけが聞こえてくる環境で、誰にも邪魔されずに、長閑な小一時間を過ごしてしまいました。

 さて、明治より前、鎌倉時代から孝明天皇までの皇族は、多くがこの泉涌寺に埋葬されています。いかに神仏判然令なんてものが明治政府による独断だったかが、よくわかります。こうして江戸時代まで皇室は、当然のことの様に、仏教を受け入れていたのですから。

 この仏殿の奥(正確に言うと、この絵では仏殿の左の舎利殿の奥)には霊明殿という、一般非公開で皇室しか立ち入れない、桧皮葺の立派な建物がありました。ここだけ御所から紛れ込んだ様な具合ですが、さして違和感は感じません。

 東大寺の手向山八幡宮にしても、興福寺の春日大社にしても、神仏習合なんて、日本人にとってはごく当たり前の光景であって、相手が誰であろうと、それなりに敬意を払うというのは一つの美徳に違いありません。天皇家からして宗教にはこだわらないという姿勢が、正に日本人を象徴している様で、とても自然だと思うのです。でなければ、宗教施設ばかり巡る、修学旅行なんて行事が、民主主義国の公立学校で成立するはずはありません。

 京都駅に戻って、タクシーの集合場所で待っていると、神仏習合や皇室典範になど、全く無頓着な中学生が、屈託無い笑顔で続々と帰ってきました。その土地で生きてきた人と宗教には切っても切れない繋がりがあり、そういうことを含めて、歴史を学ぶ理由も意味もありますが、もっと優先されるべきは「美しいもの」「旨いもの」「良いもの」「凄いもの」を尊重する態度であり、それらを大切と思える情緒でしょう。三日間、奈良、京都で五感を働かせて楽しんでいた中学生を見ていて、そんなことを改めて感じた修学旅行でした。