2015・年賀


 明けましておめでとうございます。今年はちょっと変わった正月飾りでスタートです。あさごアートコンペティションから戻ってきたボブ・ディランが場所塞ぎなので、人から貰ったミニ門松を置いてみました。これが玄関の正面にいると、宅配便のお兄さんもびっくりです。でも、作品と本の増殖は、笑いごとでなく、頭の痛い問題です。陶器のように使えるものなら人にも配れますが、等身大の彫刻となるとそうもいきません。今年は完成後のことも少しは考えながら制作していく必要がありそうです。
 さて、正月に一番近づきたくない所と言えば明治神宮とデパートですが、新年二日目からその両方を梯子してしまいました。明治神宮は兎も角、普段ひとりで決して行かないデパートに足を踏み入れた理由は「没後400年 古田織部展」です。銀座松屋で1月19日までの会期ということだったので、人混みを覚悟して出かけました。

 今回の展覧会には、いわゆる緑釉の織部焼だけでなく、甲冑や小袖、織部好みの墨跡や手紙なども展示されていました。陶器では美濃や唐津はもちろん、伊賀、信楽備前の花生や水指に優品がたくさんありました。織部というと例のolive色の陶器ばかり思い浮かべがちですが、当時の茶会記を見ると唐津焼を使うことも多く、恐らくは九州の窯場にまで注文や指導を通してその影響力は及んでいたと思われます。そうでなくては遠く離れた美濃と唐津で非常に似通った器が焼かれていたことの説明がつきません。
 それにしても、400年前の古田織部の守備範囲の広さと斬新さには驚かされます。歪んだものや愛嬌のあるものに美を見い出し、完全を嫌う価値観は織部によって市民権を得、その後光悦らを経て、連綿と今の日本人の中にも生きています。大陸渡来の天目茶碗が使われていたそれまでの茶道を日本的な侘び茶として大成したのは利休ですが、織部はさらにその美の範囲を拡大していきました。カブキ者のファッションや辻が花染めなど、町衆の流行をデザインに取り入れ、整った茶碗はわざと壊して繕う等々、やり過ぎという批判を浴びながらも、その美を求める姿勢は徹底していました。好き嫌いは分かれるところですが、少なくとも私の眼には織部の美意識の方が、小堀遠州以降小ぢんまりとまとまってしまったような「綺麗さび」の世界観より、ダイナミックで魅力的に映ります。
 思えば、去年の正月は京都で鷹が峯などを巡り、本阿弥光悦の足跡を辿っていました。光悦の茶の湯の師匠が織部ですから、今年は松屋銀座で少し時代を遡ったことになります。織部についてまだまだ興味は尽きませんが、この分で行くと来年の今頃はいよいよ千利休の出番かもしれません。