哲学について ③

 私はハイデガーもメルロ・ポンティも読んだことがありません。ベルクソンは途中で諦めました。構造主義に至っては内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』を読んでわかったつもりになっているだけです。デカルトキルケゴールニーチェサルトルなど少し翻訳で読みましたが、とても哲学に詳しいとは言えません。でもその程度で充分、いや限界かな、とも思います。
 哲学は古代から近代までのヨーロッパ文学の傍系でもあります。それを本当に学んでわかろうと思ったら、原典にあたるしかありません。木田元さんの凄いところはプラトンアリストテレスギリシャ語で、カエサルラテン語で、デカルトサルトル、メルロ・ポンティをフランス語で、カント、ヘーゲルマルクスニーチェハイデガーをドイツ語の原書で、それぞれ丁寧に読み込まれていることです。哲学の研究と言うと、思索を深めて至言を絞り出すようなイメージがありますが、本当は書かれた言葉を大切に聴き取っていくことの積み重ねなのかもしれません。少なくとも、まず言語を理解することが哲学の入り口であることは確かなようです。となると、語学のできない私にはとても無理です。未だに英語の本も読めません。

 独りよがりに哲学を学んでいるつもりで、翻訳された哲学書をどれだけ読んでみたところで何もならないでしょう。あんな理屈っぽい殻で身動きが取れないような日本語はさっぱり頭の中に入ってきません。きっとヨーロッパの言語にはヨーロッパの言語の流儀があるはずです。訳では伝わらないニュアンスもあるでしょう。ならば賢い人に噛み砕いて教えてもらうのが得策です。
 ハイデガーやメルロ・ポンティのことを知りたければ木田元さんの本を読めばいいし、デカルトベルクソン小林秀雄構造主義内田樹さん、プラトニズムについては養老孟司さんの『唯脳論』を読めばだいたい理解できると思います。他にも優れた論客はたくさんいますから、自分で語学までやらなくても、読む本はいくらでもあります。ただその場合、美しく正しい日本語で書かれた本を選ぶことが重要です。頭のいい人は対象を咀嚼して飲み込み、一旦自分の血肉にしてから語りますから、妙な専門語を多用したりしません。文章もこなれていて分かり易いものです。頭の良くない人の本だとそうはいきません。
 さて、では哲学がこれからの世界の進路に影響力を持つかどうか、例えば道標になるかと言えばならないでしょう。が、良くも悪くも哲学の敷いたレールに乗っかって、ヨーロッパ文明は走り始めてしまいました。今や世界中を巻き込んで雪だるま式に肥大化しながら転がっています。もうとっくに線路は切れて、車輪も吹っ飛んでしまったのに、そのままの勢いで20世紀を駆け抜け、まだ止まりません。今、その元々の設計図とも言うべき哲学を学ぶことは、自分の乗ったこの社会の動きを多少なりとも理解する助けにはなると思います。そうすれば予測不能な現実のどこかで腹をくくるきっかけくらいは掴めるかもしれません。なにより、古の賢人達が知恵を絞って現実と自分との折り合いをつけようと苦闘した記録は、最高の娯楽作品であることに間違いありません。