哲学について ②

 美術の世界にあって、ヨーロッパの哲学史をひとりで体現しているのがピカソかもしれません。ピカソは15歳でマドリード王立美術学校に合格したほど早熟の天才でしたが、それに似合わずこんなことを言っています。「音楽の神童はいても、美術の神童はあり得ない。どんなに素晴らしくても子供の絵は芸術作品とは違う。画家が芸術的な絵を描くためにはどうしてもアカデミックな修行が必要で、ただ私の場合それを終えるのがとても早かったということだ。」
 アカデミズムを極めたピカソは、若くして絵画探求の冒険をスタートします。20世紀に入り写真が世の中に普及し始めていましたが、その追随を振り切るかのようにピカソの絵は変化していきます。情緒的であることを突き詰めた青の時代から、やがて総ての感情を切り捨てて分析に徹したキュービズムの時代へ、まるで極端から極端へ振り子を振り回すようにしながら、弁証法的に前進していったのです。

 ピカソが他の画家と比べて一際異彩を放つのが「時間」に対する感覚です。ピカソは91歳まで長命を保ちましたが、それを差し引いても普通では考えられないくらい多くの作品を残しています。絵画以外も含めると、生涯にわたって毎日3〜4点ずつ作っていた勘定になるそうです。ピカソの場合、私生活もかなり賑やかでしたから、全く恐るべきバイタリティとしか言いようがありません。
 さらに絵画という二次元で、三次元の空間を表すことに飽き足らず、「時間」まで含んだ四次元表現を目指してキュービズムに向かったことは美術史上の革命と言うべきでしょう。複数の視点(瞬間)を一つの画面に同居させるその方法が、果たして魅力的な絵画作品として結実したかどうかは置いておいて、その強引さはいかにも観念的でプラトン直系の強い意志を感じます。
 プラトニズムの結果が近世以降、加速度的な社会変化をもたらしたように、美術の世界ではピカソという現象を通して、人間精神が行くところまで行ってしまったという気がします。ちょうど同じ時期に活躍したピカソアインシュタインは終末に向かうヨーロッパ主義の両輪だったのかもしれません。尤もピカソ本人にそんな意識はさらさら無かったようで、彼を巡るエピソードから哲学的な匂いはしません。描きかけの「ゲルニカ」の前で愛人二人に掴み合いの喧嘩をさせて笑っていたり、国連から平和のシンボルマークを依頼されて、わざわざ意地汚く争い好きの鳩を描いてみたり、と好き放題です。ピカソというメフィストフェレスによって、美術表現の振幅はかなり広がったかもしれませんが、その寿命は確実に縮まったように思います。まあ、美術の老い先が短いと言っても、ピカソのせいで原爆ができた訳じゃないので、心配するには及びませんが。