忠良先生のこと

 先月30日に亡くなった佐藤忠良先生の作品が、リニューアルした永福町駅に設置されました。3月23日に予定されていた彫刻の除幕式は、震災直後ということで中止になりましたが、当日、出席されることになっていた先生ご自身が宮城県出身でしたから、それどころではないというお気持ちだったはずです。作品の足許には、ご逝去以来、いつも花が置かれて、清々しい一角になっています。
 同じ町内にいながら、近所でお目に掛かっても会釈するぐらいしかできませんでしたが、彫刻やデッサンは無論のこと、文章にも表れる先生の人品にふれる度、少しでも近づきたいと思っていました。

 先生が作られた「少年の美術」という中学校教科書も素晴らしく、他のものとは一線を画していました。見開きで、画家中川一政を追悼したページでは、同じく永福町に住んでいた憧れの画家を、心のこもった文章で彫刻したようでした。残念ながら、「少年の美術」は撤退してしまって今はありません。つくった人の気持ちが、中学生に伝わる教科書もなくなってしまいました。
 来年度からの指導要領改訂に伴い、中学校は今年、教科書採択の年になります。しかし忠良先生も亡き今、出てくる美術教科書に期待できないと感じている教員は私だけではないと思います。