西念寺のお葉つき銀杏

2023年 32cm×25cm 紙、鉛筆、水彩

 茨城県笠間市の稲田は.上越配流後の親鸞が妻子と共に20年間過ごした地です。その場所、稲田禅房西念寺を訪ねてみました。素晴らしく太い欅の残る、少し荒れた参道の先に瀟洒な山門があり、「浄土真宗別格本山」と書かれています。親鸞の主著「教行信証」がここで書かれ、東国布教の拠点となった草庵跡なのだそうです。境内には親鸞手植えの伝説が残る樹齢800年の銀杏が青々と繁っていました。

 上越に住んでいた時、親鸞ゆかりの場所があちこちにあり、そのいくつかには足も運びました。京から流されて上陸した直江津の居多ヶ浜(こたがはま)、そこから程近く親鸞が暮らした国府別院、また親鸞の妻になった恵信尼の里にも(豆腐を買いに)度々行きました。でも、当時は親鸞という人にそれ程興味も持てず、「ふーん。」ぐらいにしか思っていませんでした。

 7〜8年前に文庫化された吉本隆明の「最後の親鸞」という本を読んでからです。これは思想家としてかなりスケールの大きな人物だったのだな、と気付いたのは。(こうして誰かに仲介してもらわないとわからないのが我ながら情けないところですが。)親鸞はここ坂東の地で僧の権威を捨て、世俗に身を置きつつ衆生の教化を図りました。所謂「非僧非俗」です。仏教(学問)と現実世界の狭間、最前線に立ち続け、どちらからも倒されることなく、生きた思想の実践に努めました。親鸞という思想家は机上の空論の無力さを誰よりも知り抜いた知識人だった様です。教義だけを見れば取り立てて目新しいところのない念仏教の浄土真宗ですが、最も多くの信徒を獲得しているのにはやはり理由があったのだと言えましょう。

 さて、日本中に聖人伝説、伝承等は数多ありますが、この「お葉つき銀杏」なんてのは害も益もなく、可愛いものだという気がします。銀杏の樹齢を考慮しても、親鸞手植えの可能性がないとは言えません。ただそれが事実だとすると、プラグマティストの親鸞のことですから、丁寧に葉で包んで種を蒔いた訳ではなく、手が銀杏臭くなるのを避けたということだったかもしれません。