前線にいること①

 どうも私は「美術教育研究会」みたいな集まりが苦手です。学校の研修などで、やむなく出席しなければならない時は、なるべく出口に近い席で大人しくしています。美術は、私にとって勿論何より大切ですし、教育がなければ、今いる国や世界を存続させることはできないでしょう。けれど、それらが重なって「美術教育」になった途端、つまらないものになってしまうのです。

 なにも私は美術の教育がいらないと言っている訳ではありません。中学校で美術を教えることはとても有益だと信じています。週一時間の美術の授業を心待ちにしている生徒は大勢いるのです。でも「美術教育」の「研究会」は不要です。徒党を組んでくだらない理想を語るばかりで、何の戦略もありません。美術科が虐げられていると愚痴ることに意味があるとは思えないのです。
 私に言わせれば、そういう「美術教育」の世界は、美術に背を向けた者と教育に背を向けた者の吹き溜まりです。美術や教育の前線から脱走してきた裏切り者が集まって作り上げた、ちっぽけなシェルターにも見えます。実体のない「美術教育」に、何か凄い効力があるかのように喧伝する、彼らのやり方は胡散臭くて、どこか新興宗教じみています。
 そもそも、安易な所属意識や連帯感を求めて群れたがる人々は、美術に向いていないだろうと私は思います。作品と対峙することは、つまり孤独に親しむことと同根ですから。