専門バカと器用貧乏

 私が「中学校で美術を教えている。」と言うと、十中八九「専門は?」と訊かれます。美術の教員同士だと尚更、嘗ての専攻は気になるようです。学生時代から同じように作品をつくり続けている人なんて実際は殆どいないのに、『専門』は相手を値踏みする血液型診断みたいなものかもしれません。そういうときは仕方ないので「いろいろ。」と答えておきます。

 日本では昔から「手に職」とか「餅は餅屋」と言って、その道を極めることが奨励されてきましたが、私はどうも一つのことだけをずっとやり続けるのが苦手です。高度な技術や職人芸が要求される世界ならいざ知らず、造形に家元的な閉鎖性は必要ない気がします。心のバランスを保つためにも、立体と平面、具象と抽象、表現と工芸といった垣根を踏み越えて、何でもつくっていくのがいいようです。
 器用貧乏という言葉がありますが、そうだとしても専門バカよりはマシだと私は思います。尤も、本当の専門バカとは、世の美術教師がみんな何かのエキスパートだと思いこんでいるような人、つまり『専門を尋ねたがるバカ』のことでしょうけど・・・。