テーマ『風貌』について ②

 まだ技術的に拙い時期は、勢いに任せて作った自分の作品の欠点を「個性」などと誤魔化すこともできます。しかし造り続けていく内に、自我なんてものはどんどん薄っぺらくなっていくことに勘づいてしまいます。表現する主体はなくなり、終いには目と手だけが残ります。自分が制作をコントロールしているというよりは、作品ができあがっていく流れに、目撃者・作業員の一人として、乗せられてしまう感じと言えばいいでしょうか。気がつくと、我を忘れて対象だけを追いかけているのです。

 ついに自分は消えてしまって、作品の人物だけがそこにいるようにならないと、本当にリアルな肖像はできないと思います。そのためには、実物や写真の姿を見るだけでなく、あらゆる言葉や痕跡を手がかりにして、その人になりきるぐらいの覚悟が必要です。世間で「あの人は自分がない」と言われたら、だいたい悪口に決まっていますが、私はようやく最近になって「自分がない人」になりつつあることを少し誇りに思います。